5回
2017/12 訪問
クセとか習慣とかが居心地の正体でない、事もない。
銅鑼湾で朝を迎える。
日頃から朝夕の一日二食だし、ましてや連日、某所で朝から晩まで立ちっぱなし休憩なしで作業をしているから、食都香港にあってもますます昼飯をとる機会はない。
と、0700時にもなると空腹でしょうがない。
今回の商いでは、目上の方との会合もなく、いい席で食事をしようという考えもなかったし、日中はコック服を着ていればいい*1 ので、持ってきた服はごくカジュアル。
セージグリーンのワザと表示サイズよりひとサイズ下を選び丈短めなアルファインダストリー社謹製MA-1のナイロンジャケットを羽織り、内ポケットにはパーカライズド仕上げの軍用M1911A1を忍ばせ*2 足元にはスニーカーを引っ掛ける、スティーブマックィーンの遺作「ハンター」スタイルで、摂氏11℃の街に歩き出す、と、足は自然、こちらに向かう。
人口過密なこの地にあって、人影がまばらな日曜日の朝、路地裏にこちらの看板を見つけると、妙に安心し、納得してしまう自らの単純さに苦笑いしながら、早晨早晨と声を掛け、食卓につく。
サンデーモーニングには雪菜肉絲米 配腸仔煎蛋 跟 牛油多士 に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、甲乙丙丁とある早餐メニューの丁餐がそれで、うはは、これこそ丙丁つけがたいだな、はは、と #言いたいだけ とは、オトウサンもういい年なんだから、くだらぬシャレはやめなシャレ、と、広辞苑に「駄洒落の例文」として載っている有難いお言葉で叱られそうだから、黙っている。
そう思いながらネスカフェの粉コーヒーを飽和まで溶かし込んだ上煮詰めたように苦味が鋭い浄啡*3 をすすり、オマケの「ウインナと目玉焼き バタトースト」のソーセージにかじりつくと、まるでオデンのゴボ天みたいにギョニー感が強いことにウヘェとなり、トーストの薄甘さは、昭和40年代の学校給食に出てきた食パンのそれそっくりでその揺るぎない伝統? に感心するばかりだが、ここで追って運ばれてきた「からし菜と細切り肉炒めのっけビーフン」をズルリとすすると、雪菜の塩辛さと酸味、豚肉のコクが織りなす調和ぶりの安定感に口腔の粘膜が慶び、パキパキとしたビーフンの噛みごたえは「麺硬め」を志向する麺食い諸君の需要に対応しており、心地よく、本邦でももっと普及して良さそうだよな、だいたい「バリカタ」「粉落とし」な生煮えラーメンでぽんぽんイタイイタイにならなくていーじゃねーか、と、甚だでっけえお世話な事を思いつつ、その後某所で行う予定の実演調理販売に向けて、気持ちを引き締めながらも、だんだん口に広がってくる「もとの味」の存在にイ゛ーーーーっ! と、なり、しかしここはそーゆー事を言うところじゃねえ、いんだよ細けえ事は! と、自らを諌めない、事もない。
*1 今回は出張調理人として訪港
*2 ウソです
*3 ぶらっくこーひー:普通に熱咖啡と頼むとクリープないしニド、或いはブライト的なものが問答無用でブチこまれてくる
2017/12/18 更新
2017/10 訪問
情人的眼涙(林憶蓮ヴァージョン)
はい、もちろん #言いたいだけです。
「うまいもの」だけが、ヒトを惹きつけるのではない。
その土地の、ある時代に当時の政治、経済を背景に、必然的、或いは/及び偶発的に発生、流布したもの、そして他には広がらず、その土地だけに現代でも残っているもの、ただし、世の流れの中で今後も残っていくか? については色々な意味で疑問のあるもの
…こういったものに着目し、汲み上げ、口にして、当時の社会情勢、そして人々の身体感覚や人情に触れてみるという、半ば民俗学のフィールドワーク的切り口で向き合うべき「食」というものも存在する、というのが、道理であり、社会通念であり、ワールド・ヴァリュー(世界基準©️副島隆彦)である事、いうを待たぬ。
と、言うわけで香港茶餐廳である。
こちらの日本語で書かれた香港人著者によるブログhttp://hongkongsoul.blogspot.jp/?m=1 にあるように、グローバル化と近代化、そして押し寄せる大陸からのアレコレにより、同地を同地をたらしめていた文化、風景は、猛烈な勢いで失われつつある。
と、なれば、同地固有の飲食店形態である茶餐廳、なかんずくその特色がことさらに現れている(ような気がする)早餐、あさめしを、今のうち、機会のあるうちに出来るだけ口にし、記憶にとどめておきたい
と、現地人でもないのに甚だデッケエお世話で再訪。
デッケエお世話な朝食は、鮑您好味に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、
「あ、これ、韻を踏んでますね、アナタに自信を持ってオススメ、という意味とお料理の名前が同音です」
と、同行の天狗物産諜報局破壊工作班大中華圏対策室所属、入局三年目、日中ハーフのMS.K(仮 が説明してくれたから、とは、こちらがまるで、現地の言葉を「音声認識」という面で通暁していない #冷徹な事実 にブチあたり、上司としての股間が蹴られるもとい沽券にかかわるから黙っている。
そう思いながら改めて品書きを見ると、御菜の説明に
「仿鮑魚絲火腿通粉」
とあり、
「ははあ、これはアワビとあるがホンモノのそれではなく、スルメを細長く切り、ハム(いわゆる中華火腿ではなくアメリカ式のプレスハム)とともに塩味のスープに浮かべ、舌になんとなくアワビの風味を感じさせる技というか幻覚を用いた割烹を採用しており、さらに朝食らしく腹持ちがいいようにスープにはマカロニが浮かんでいるに違いない」
と、ディープラーニングを採用したAIの如く一瞬のうちに文字の羅列を解読し、運ばれてくると思った通りのものが出てき、さらに
配 火腿庵列
跟 牛油多士
とあるのを、
「ほほう、付け合わせはハム・オムレツ・オン・バタ・トーストか、サービスいいや、っつーか、糖質ナミナミすぎ! 」
と、大脳を用いるまでもなく、延髄経由 #知ってることを全部いう し、加工獣肉と乾燥魚類の混交により、
「言われりゃそういう感じがしないでもない」
アワビもどきの汁をすすり、卵料理をパクつき、怒涛の小麦製品攻めに果敢に挑戦し、朝っぱらから蛙のように腹を膨らませ、肩で息をしながら、雀巣牌熱咖啡(ほっと・ねすかふぇ)をガブガブ飲み下すと、耳元でサンディ・ラムの溜息のような歌声が、ささやかれたような気がしない、事もない。
2017/10/25 更新
2017/06 訪問
早晨! 銅鑼湾
公仔麺を食い、雪菜肉絲米粉を食い、正体不明な通粉(マカロニ)を食う。
付け合わせに西煎雙蛋が、腸仔煎蛋が、火腿庵列が付き、ついでに牛油多士がつく。
飲み物は有無を言わせず、牛奶咖啡。
別に天上の美味と思っているわけでも、他に食うところがないわけでもないが、香港に赴き、朝食の付かない商人宿に泊まり、さて1日が始まるにあたり、身体に熱量を奢ってやろうかな、という事になれば、慌ただしい時間帯だし、アレコレ選り好みせず、近隣の茶餐廳に飛び込み、この地にしかない独特の早晨餐を喫するというのは、道理であると同時に合理であり、社会通念であり、ワールド・ヴァリューである事、いうを待たない。
…んで、あるが、三日連続同じ店に行かなくたっていいじゃないかって?
だって気の早い台風到来直後で毎日毎日雨が降ってたんだモン☆
と、言うわけで、具体的なお菜の詳細は別掲のシャシンならびにシャシンのコメント欄に当たって頂きたいと思わない、事もない。
2017/06/20 更新
2016/09 訪問
茶餐廳を語らずして港式食生活を語るとは片腹痛いという #冷徹な事実
カフェでも喫茶店でも、洋食屋でもスナックでも、一膳めし屋でも大衆食堂でもない。
…というかその全部、よろず注文承ります、みんなまとめて面倒見るゼ! という営業方針をとっているのが、香港各地で見受けられる茶餐廳(ちゃーちゃんてぃん)という業態であるのは、港人のコモン・センスであり、社会通念であり、ワールド・ヴァリュー(世界基準©副島隆彦)である事、言うを待たぬ。
かくしてブレックファスト・ビュフェなど望めぬ商人宿を、雨風をしのぐ一夜の友とする事が常な旅商人にとり、朝ともなればこの手の店舗に自動的に吸い込まれるのも是、ナチュラル・ラー(自然法©佐藤優)と断ずべき #冷酷な現実
0700時の開店を待つように店内に飛び込み、品書きを睨みつけ、牛油多士(バタ・トースト)、餐肉煎雙蛋(卵二個の目玉焼き・ランチョン・ミート添え)意式通粉湯(マカロニ・スープ)、出前一丁(コレはそのまんま)などの珠玉の銘品の数々から、自分の腹具合と気分、そして
「たぶんこれはこーゆーモンじゃねーかな? 」
と、自らの漢字理解力と空想力を駆使し、選択し、おもむろに指差し、もくろみ通りのモノが出てきても、そうでなくとも、鉄心石腸というココロモチで木彫りの面のような無表情(©大藪春彦)で目の前の皿の中身に対峙する、というのが漢、或いは侠と書いて日本男子と読ませる国から来た者のつとめ、というモンである。
早朝の茶餐廳では三文治(サンドウィッチ)に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、パンになにかが挟んでさえあれば、旅のスナップとして #断面に着目する #シャシン撮りたいだけ の欲望を満たしてくれるから、とは、食べロラその他のフード・ポルノに脳がヤラれすぎだから黙っている。
そう思いながら、熱珈琲(いー・がふぇー:ホット・コーヒー)を頼む際「斉啡(ざいふぇー)」とわざわざブラックでミルクなしである旨をかまして通人ぶり、火腿芝士三文治(ハム・チーズ・サンド)に噛り付くと、その具の薄さ、寒々としたパンの薄甘さに思わずコレを思い出したりするが、
「なに?中文では三明治じゃないか、だと? そりゃ大陸のモノイイだゼ! 」
などと仮想問答を口の中でブツブツ言っていると、クーロン黒沢* か、たのちゅうマスター** ほどの玄人になったような気がしない、事もない。
*あえてリンクを避ける
**あえてリンクを避ける
2016/10/03 更新
本邦屈指の老舗洋食屋「資生堂パーラー」と同様の変遷を経て
…なんという事はなく、街の気安い軽食ならびに喫茶を楽しむ店、であって、朝から夜遅くまで、香港居民ならびに大陸からの観光客、および、浮かれた調子こき(エチゴ弁:お調子者)な香港迷なヤップンヂャイなどで時分どきは常に満員。
このような店では相席御免、勘定は日本の食堂同様、出口の帳場で支払い、チップも不要。気楽なモンである。
旧蝋。
マカオでの破壊工作終了。
翌朝、昼前に上環着のフェリーで香港島に到着、的士で銅鑼灣に向かい、定宿に荷物をほどき、あ、そういえば朝から何も食ってないな、と、時代廣場近くの露地にあるこちらに。
1430時。
そろそろランチタイムメニューも締め切りギリギリなタイミングだが、基本1230時以降から昼食が始まる社会習俗のあるこの街では、店内はまだまだ満席。
奥の大きな円卓の、一つ残った空き席にエクスキュース・マー、と、英粵馬ないし尼語混成で「ごめんなすって」と呼ばわりつつ手刀を切り、腰をおろし、お運び小姐に、ランチ定食、まだいける? とジェスチャーで尋ねると、没問題とのお答え。
ありがたし!
ありがたい店では馬來雞扒咖哩飯に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、東銀座のジェンメン的にカキマゼる店とか、京橋の旧中央亭を突然思い出し
…とか言っても、都内おぢさん系るんちに明るくない向きには、全く意味不明だろうから黙っている。
そう思いながら目の前に運ばれてきた例湯(らいとーん:本日のチューカ・スープ)の半ポタージュ状になった根菜由来の鄙びた風味から、ここが香港であったことを強く思い出し、続いてやってきた「鶏腿肉煮込みマレーシア風味カレライス」の目の前で(左利きだから)左手に匙、右手に肉叉(フォーク)の南アジアならびに東南アジア共通カトラリ活用指南に準拠しつつポジッションを決め、肉塊をほぐしつつ長粒米と短粒米の中間的サイズながら、口当たりと風味は間違いなくアチラ側な「南洋米」とでも表したくなる香港焼臘飯店、茶餐廳共通な米飯にグレイビーとともに絡めるようにして口に運ぶと、鶏肉には煮込む前、所謂滑油(あぶらどーし)の技が施されているさまがむしろ粵式であり、一方、椰子汁(ここなつじゅーす)或いは/及び椰子油(ここなつおいる)で中間的な甘味、滑らかさを演出し、香辛料由来の直截な抹香臭さを程よくマスキングし、より「メシに合う」ようにしているところはまごう事なくペラナカンな手法であり、全体をまとめる、多分、蕃茄醤(けちゃっぷ、或いは/及び、ぱっさーた・るすてぃか)由来と思われる甘酸っぱさは、カレライスを強引に燴飯方向に誘導しており、うむ、折衷料理は本邦のカツカレー、カレー南蛮そば、明太子スパゲッティだけにあらず。
これぞ文化のフュージョン、クロスオーバー・イレブン、こんばんは横内正です、と、往年のNHK FM放送番組を思い出しつつ、同時にアジアンカルチャーのサラッド・ボウル、ディック・リーの代表曲フライドライス・パッラダイスを口ずさまない、事もない。
言わずもがな、な、ヘビの足】
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…しかしローガンにはナカナカ厳しいのコトよ、アプリ開発各位におかれては、改善、改良に努めていただけると、幸甚に存じちゃうゼ!
ひとつよろしくお願いします。