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昼の点数:3.7
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~¥999 / 1人
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料理・味 3.7
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|サービス 3.5
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|雰囲気 3.5
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|CP 3.0
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|酒・ドリンク -
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[ 料理・味3.7
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| サービス3.5
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| 雰囲気3.5
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| CP3.0
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| 酒・ドリンク- ]
初の抹茶カキ氷 丸久小山園・西洞院店
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抹茶かき氷(夏期のみ)900円
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抹茶かき氷(夏期のみ)900円
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2017/05/14 更新
二条城を見学した後、暑いので冷たいものでもと思い、フラフラ歩いていたら、お店の佇まいからして間違いないだろう?というこのお店を発見。抹茶を使った甘味が提供されているようで、一緒にいた女性陣のハートを鷲掴みにしたようでした。抹茶の甘味って勘弁してくれって感じだったんですが、このお店がきっかけで抹茶スイーツを好んで食べるようになりました(・.・;)
思い出深いお店なんで、抹茶のお菓子を食べる度に、このお店の事を思い出すが、その度にモヤモヤとしていました。ふらっと入ったお店だったので店名がわからん(笑)手がかりになるのは、以下の2枚のカキ氷の写真と、店名が漢字だったという記憶のみ。ドライバーが自分じゃなかったのも不運で、二条城との距離感も記憶としてなかった。さらに、このお店で提供される抹茶のカキ氷は夏季限定だった事もあり、あまり情報がなかったんですよね。お盆の角に特徴があったのと、抹茶と練乳の容器から特定できましたが、そこに辿り着くまでがけっこう面倒でした。特定できてからは、情緒ある中庭が喫煙場となっていた事を思い出したりして、食べログの他の方の写真を見て、やっぱりここだなと再確認。
抹茶のカキ氷を食べるのは初体験。甘味に抹茶という組み合わせが奇妙な感じなんで今まで敬遠していました。缶やペットボトルのお茶、抹茶のスイーツもですが、巷に溢れだしてから、そう年月が経っていないのも事実なんで、自分のように時代に取り残されている人も未だにいるんじゃないかな?と思います。とはいえ、ここのカキ氷は偏見を持ちながらも、美味しくて食べきってしまったんですよね。あれ?意外とうまいかも?って(笑)元々、お茶はマイルドな甘みや旨味のある玉露を好んで飲む方なんで、お茶と甘みの組み合わせには慣れていたのかもしれませんが、まあこれ以降、抹茶のスイーツがけしからん的な考え方は薄れてきました(笑)
このお店の創業は約300年前の元禄年間。本社は宇治。何気なく入ったお店が、すごい老舗だったっていうのは、京都っぽいですよね。元禄時代は、江戸で栄華を誇った「元禄文化」を思い出します。その一方で、この頃の江戸幕府は慢性的な財政難で、将軍は「生類憐れみの令」で知られる"犬バカ"な徳川綱吉。文化や経済がやたらと発展した時期に、将軍が悪名高い綱吉というのはちょっと不思議な感じもしますよね。俗説が先行するためにどうしても悪政のイメージを払拭しきれていない感があるが、綱吉は「天和の治」と言われる程の善政を敷いた名君です。歴代の将軍をみても、知力、支配力ともにトップクラスであり、旧来の価値観までも転換させたその影響力は計り知れませんし、現代でもその影響を多々受けています。これに気づかない生活ができている人は無知かもしれませんが、幸せでもあります。この頃の町民はまだ犬を喰ってた時代でもあります。他人の飼い犬を勝手に殺して食べるような「かぶき者」もおり、「生類憐れみの令」が彼らを一掃していなかったら、我々はどこどこの犬がうまいとか、食べログで評価していたかもしれないですし、ブロイラーのように肉付きのよい犬を開発したかもしれませんよね(笑)また、儒学による文治政治により、礼節という道徳観、福祉的な政策が施行されており、近代国家らしくなっていくのもこの時代です。結果的に、この儒学の発展が幕府衰退の要因の一つにもなっていそうですが、それはさておき、この頃は、農政にも力を入れています。農業生産そのものが勢いよく発展している時代で、宮崎安貞の「農業全書」の影響もあり、百姓の生産性も向上しています。発展が発展を呼び内需も生み「たたら製鉄」では、刀剣だけではなく、農具の生産も盛んになります。百姓は年貢用の米だけではなく、地域の特性を生せる商品作物を生産、販売することで経済的に有利になりました。つまり、各地に特産物が生まれるきっかけにもなっており、宇治の茶もその中の一つとして挙げられます。そんな時代に産声をあげたのがこのお店であって、時代背景を考えるとなんだか頷ける感じもします。そんな頃に、この近くで大政奉還が行われるとは誰も想像してなかったでしょうね。宇治茶の歴史自体は遡っても面白いが、この元禄時代以降からは、画期的な製法が生まれたりして、極まってくる感じがあります。