3回
2016/12 訪問
魚味礼讃(ぎょみらいさん)!...「東麻布天本」、ここは、魚が香りのものであることを改めて思い出させてくれる稀少なお鮨屋さんである
わたしは普段、基本的に宅配のお鮨というものをいただかない。宅配でお鮨をいただくなら、それを何度か我慢して、少し値は張るけれど自分好みのお鮨屋さんに1度だけ通えばよいと考える方だ。ただ、先日たまたま宅配鮨をいただく機会があって、久しぶりに食べてみて、改めて愕然とした。そこに、魚の香りはまったくなく、あったのは酢飯の匂いと魚の切り身の食感だけだったからだ。
もちろん、すべての宅配鮨がそうだなどと失礼な断定を下すつもりなんてないけれど、もし、こういうものをずっと食べ続けていたら、きっと「魚は香りのもの」といわれてもピンと来なくなってしまうだろうと端的に思った。
やはり魚は、香りこそが生命線だと思う。しかし残念ながら、養殖モノや、天然でも鮮度の落ちるもの、あるいは職人の適切な仕事が施されていないものからは、魚の香りはまったく感じるとることができない。
「東麻布天本」。ここは客に、魚の香りを味わってもらいたいという想いを痛切に感じさせる鮨の名店である。魚の香りを最大限に引き出すために、ここしかないという奈一点で見切られているに違いない熟成のタイミング、ネタに施す仕事のさじ加減、保たれるネタの温度..このお鮨屋さんは、天本 正通(あまもと まさみち)さんの食味に対する秀逸な運動神経を感じる鮨の名店である。
1.クチコの茶碗蒸し
クチコの味わいはある種肉感的なところがあって、温かい香りが鼻をつく。生クチコを「美食家の気に入るものの第一」といったのは北大路魯山人であるが、その意味が頷ける。茶碗蒸しの優しさとの相性も素敵だ。
2.北海道野付(のつけ)産の天然ホタテ
北海道の東側、秘境の羅臼(らうす)にもほど近い野付(のつけ)半島。ここは美味しいお魚がたくさん獲れることで有名な半島である(北海シマエビや秋鮭、そしてホタテ)。ひとくちいただくけれど、身厚でぷりっぷりの食感と心地良い歯ごたえが素晴らしい。また、とろける甘さは感動的ですらある。
3.佐賀県いろは島の いろは牡蠣
長崎県と佐賀県の間に散在する48ある無人島を、"いろは島"というらしい。(いわゆる"いろは48文字"に引っ掛けて"いろは島"と命名されたそうだ)...うん!やはり、マガキは旨い。これは海の恵みを体現する食材だ!
4.4日寝かせた静岡県の天然縞鯵(しまあじ)
わさびじょうゆで...とご案内がある。縞鯵は、西伊豆のイメージがある。仄かに茜(あかね)さす艶やかなフォルムはひとを陶然とさせるものがある。気持ちを落ち着けて指先で摘んで、口に放り込む...同系統の魚と比較するとその肉質は強い弾力性があり、脂の載り方が緻密である。これは紛れもなく青ものの最高峰である。
前から思っていたけれど、これは真鯵とは別の魚だ。この香り高い品性は、鮎に匹敵する!
5.たらの天然ものの白子
お腹をあけたままの状態で送ってもらっているそうだ。白子特有の感情を内に秘めた生っぽい温かみがたまらない。これはなんといっても日本酒だ!
6.花山葵の醤油漬け
漬物がよいアクセントだ。シャキシャキの食感がよく、わさびのピリリとした辛味が引き立つ。
7.富山県氷見の迷い鰹
"迷い鰹"は日本海に迷い込んで、メジマグロの群れに交じって自分もマグロと思い込み、エサもマグロと同じように烏賊を食べて仕上がっていく。北海の冷たい海流に揉まれた鮮烈で引き締まった佇まいは、同じ時期に太平洋で獲れる"戻り鰹"とはまったく異なる。
8.三陸、宮城郡七ヶ浜町のとこぶし
これを獲れる漁師は1人しかいないそうだ。とこぶしは鮑と比較すると食感が柔らかい感じがする。旨みはしっかりしているけれど、やはりこれは鮑とは別物の食材だと思う。
9.三浦半島の3.6kgオスのタコ
オスは力強い!筋肉の中に蛸の脈打つ血の流れを感じるかのようだ。さらに感じるか感じないかくらいにそこはかとなく漂う磯の柔らかい風味にうっとりする。
10.津軽海峡、大間産のスルメイカ
いかにもお酒のアテという渋い一品だ。大間のマグロはこいつを食って仕上がってくると思うと感慨深い。
11.釧路の生イクラ
いくらひと粒ひと粒の陰翳のある沈んだ面持ちが何ともステキだ。添えられた少量の山葵が点睛を添えているのも嬉しい。
12.北海道噴火湾のあん肝
あん肝はひたすらこってりとした濃厚な味わいを放っており、舌にまとわりつくような濃厚な旨みが口の中にひろがる。
13.宍道湖のうなぎの焼き物
前回もいただいた宍道湖のうなぎ。前回は蒲焼風だったけれど、今回は白焼風。
ここから握りだ...「天本」さんのシャリは、メインが赤酢。まろやかな甘味のある酢を使っている...わたしは、酢が立ったシャリがどうも苦手だ。米酢を使って砂糖を使わないとどうしても酢が立つ。それを信条としているお鮨屋さんが数多くあるのは知っているけれど、わたしは端的に言って苦手だ。それと比較すると「天本」さんのシャリは、柔らかく、ほどよくネタの風味を活かす風合いに仕立て上げられている。ここのシャリはわたしの好みのど真ん中をいっている!
14.しゃこの握り
しゃこの旬は5月くらいだろうか...でも、今日のしゃこは、肉がふわっとしていて、色々な小動物を食したしゃこの愁いを帯びた風味が感じとれる...
15.福岡の石鯛の握り
歯ごたえのある引き締まった身質が素晴らしい。透明感のあるしめやかな繊細な味わいはさすがの一言である。
16.東京湾小柴の墨烏賊の握り
ああ、いまからは墨烏賊ですね、とお声がけすると「さくっとねっとりと両方持っているのが墨烏賊になります」と満面の笑みで天本さん。甘みがあって実に旨い。
17.東京湾の竹岡の鱚(きす)の握り
竹岡産鱚。高級品である。鱚という魚は淡白な印象があるけれど、この竹岡産のものは鱚そのものの味わいをしっかりと主張してくる。竹岡産の鱚は味わいが濃厚である。
18.三浦半島、下浦(したうら)海岸の鯵(あじ)の握り
清麗で爽やかに締まり、青身特有の澄んだ潤味をおびている。噛みごたえは鯵の鮮度のよさを証してあまりあり、鯵特有の青身の風味を弥増すようでひたすらここちよい。
19.三厩(みんまや)100kgの鮪の中トロ
実に端正な一品である。やはりマグロは中トロが旨い。鮪の脂に、鮪の血潮が、ほのかに化粧を施すように、まろやかな衣をまとっている。
20.三厩(みんまや)100kgの鮪の大トロ
口の中に放り込めば、メランコリックと表現したくなるくらい、悩ましげに舌に絡み付いてくるテクスチャに吐息が漏れる。赤身と脂が手を取り合い燃え上がるように鮪の旨味を謳歌している。
21.コハダの握り
肉厚だ。プランクトン、ノリを食べているので、天草・佐賀のコハダは苦い、だからすぐに内臓を出してあげないといけない、とのことである。このコハダはクセがない、コハダとは思えないすごく綺麗な味わいに舌を巻く。
22.長崎済州島(さいしゅうとう)の鯖棒鮨
これを1年間でずっと待っているんです、という天本さん一押しの鯖である。脂が強いので、昆布の甘酸っぱさとあうので昆布には結構砂糖を足してあげないと、コブと鯖をあわせてあげるのが難しい、とのことだ。
肉厚で鯖の脂のりが申し分ない。また、その鯖の脂を、昆布締めの風味がどこまでも品良く包み込こむのも好感がもてる。
ここで、天本さんが、ボウルに入った氷水から、銚子港であがったぶどうえびを掌に掬って見せてくれる。美しい!海老の中で一番高い海老で、深海400メートルくらいのところにいるそうだ。銚子港であがったものは、築地まで近いし、もっとも鮮度がよくて大ぶり。青森で獲れるものよりよいとのことだ!
23.長崎九十九島しらかわの白甘鯛の握り
甘鯛の王様、白甘鯛。この上品な甘味にしばし陶然となる。白甘鯛は淡白な白身の優しい味である。でも単に淡白なだけではなく、そこに、脂が乗った上品な甘みが的確に感じ取れるのである。しらかわにしかない脂の旨味。吠えるほどに旨い!
24.銚子港であがったぶどうえびの握り
ボタン海老に似ているけれど、口に入れてみるとボタン海老より上質で濃厚な甘み(ほのかにぶどうの甘みを感じるのは気のせいか...)と弾けるようなプリプリの身の食感に驚きを覚える。
25.大分の赤貝の握り
赤貝独特の、あのひとをドキドキさせるような澄み切った透徹感で圧倒してくる。「天本」さん特有の赤酢のシャリとの相性も抜群だ。
26.長崎、五島列島の伊勢海老の握り
一口いただくが、絶妙の火入れ加減。海老の旨みが凝縮している。それに伊勢海老の味噌が滋味深い味わいを足していく感じだ。
27.自家製エビマヨを使った車海老の巻物
自家製のエビマヨ!混ぜ込まれた生胡椒、純胡椒が滅法旨い。市販のマヨネーズなんて思ったら大間違いだ!それに海苔の旨さにしたたかにやられてしまう。
28.噴火湾、羽立(はだて)水産の北ムラサキ雲丹の軍艦
羽立水産さんは、北ムラサキ雲丹の一番の業者さんとのこと。海苔は佐賀県有明産の最高級のもの。ムラサキ雲丹は馬糞と比べて恬淡ですっきりとした味わい。それに海苔が素晴らしい!海苔単品でお酒がいけそうなくらいに旨い海苔だ。
29.三浦半島の鴨居カワハギの握り
カワハギの身肉(みしし)はシャキシャキと実に毅然としている。そこにカワハギの肝のメランコリックなただよいが寄り添う...
30.五島列島のツメを塗らない穴子の握り
穴子は季節によって、江戸前と九州のものと使い分けるそうだ。前回夏過ぎにお伺いしたときは江戸前のもの。今回は五島列島の深場のもの。とにかく香りが素晴らしい。ツメを使わないのが「天本」さんの特徴だ!
31.愛知県篠島のたいらぎの握り
シャキシャキとした味調が素敵だ。炙らないたいらぎも乙なものだ。
32.玉
「天本」さんの玉は、山芋は一切使わない。美しく、甘みがある優しい玉である。最後にお味噌汁で一通りとなる。
うん、やっぱり文句なく良い!ここは、わたしにとって東京指折りのお鮨屋さんである。宅配鮨を10回我慢でしてでも伺いたい東京の鮨の名店である!
2017/01/15 更新
2016/09 訪問
魚の目利きとこだわりのある仕事は本物だ!...「東麻布天本」、ここは、料理人としての知能指数の高さを感じ取れる鮨の名店である
わたしにとって、天本 正通(あまもと まさみち)さんは、今後、どこまでも擁護し続けたい鮨職人さんである。仕事に真摯で探究心に溢れ、そしてなにより素晴らしいのは、美味に対するご自分のしっかりした哲学をお持ちである。2016年9月4日(日)、開業からわずか3ヶ月で、すでに予約至難という、目下都内で最も注目を集めている鮨店で過ごしたひと時について以下詳細に書き綴っていきたい。
本日は敬愛するレビュアーさんのお誕生日の貸切の会にお招きいただく。17:50店内に入るとすでにレビュアーさんは到着されている。まずは、シャンパーニュを頼んで喉を潤していると、ほどなく本日のゲストのみなさま全員揃われ、さっそく本日のコースのスタートとなる。
1.長崎のもずく酢
まずは、夏の涼味。さっぱりともずく酢をいただく。煌(きらめ)くような涼やかな喉ごしに、本日のお料理への期待がいやが上にも高まる!
2.愛知県三河湾の小鰯のオイル煮
梅とオリーブオイルとお水だけで3時間煮て仕立てた小鰯のつまみ。骨まで柔らかくなっている。瞳を閉じて咀嚼すれば、ほのかな梅の風味がそこはかとなく感じ取れる...鍋に並べてオイルとお水を入れて、しょっぱい梅干を1粒だけ入れて3時間入れておけばこうなるとのこと。天本さん曰く、これはご出身の「海味(うみ)」で学ばれた仕事だそうだ。
3.愛媛県の八幡浜にしかいない水蝦蛄(しゃこ)...初物!
この一品は仕入れが至難とのことだ。なんでも仕入れることができる仲買が1人しかいないとのこと。わさびだけでいくが、水蝦蛄の憂いを帯びた深い香味を堪能する。
4.唐津漁師さんから直引(じかび)きした赤雲丹
このクラスは築地には流通しないのだとか。まずは、そのままでいく。感情をうちに秘めたような、気高い香りの分子が、雲丹のひと粒ひと粒に緻密に濃縮されていて、ため息が漏れそうなくらいの逸品である。
5.あさりの酒蒸し
濃厚なあさりの風味が堪能できる逸品。体のすみずみまで行き渡るようなあさりの味わい深さに、"閑さや岩にしみ入る蝉の声"という芭蕉の発句が脳裏をよぎる。
6.北海道産の甘海老
これが途方もない逸品であった。その肉厚さ、海がこぼした涙のような芳醇なテクスチャ..."自然の恵み"という言葉はこの逸品のために存在しているとしか表現しようのない素晴らしい逸品である。このレベルの甘海老を出す鮨店は、ちょっと思いつかない。天本さんの目利きの素晴らしさ、稀少品をモノにする仕入れルートを確実に開拓している証である。
純米酒 超辛口 寳劔(ほうけん)。すっきりと軽快な飲み口であるが、飲むほどに優しいお米の甘みがじんわり広がる一品だ。これと魚介との相性は絶妙だ。
7.能登のこのわたの茶碗蒸し
これも瞠目すべき一品であった。このわたのとろっとした糸のような一筋に豊満な味わいと繊細な陰影が感じ取れるのが素晴らしい。
8.北海道産の干し数の子の西京漬け
干し数の子を1週間かけて20℃くらいの水で戻し(水は毎日変えるそうだ)、出汁につけて、最後にちょっと西京漬にしたもの。そのままでいただくが、西京味噌の仄かな甘みがそっと優しく数の子のプチプチとした食感を包み込むのに限りなく好感が持てる。
9.長崎対馬の紅瞳(べにひとみ)というブランドのノドグロ
要はノドグロ。名前が付いたノドグロのブランド魚だ。物凄い脂のりで、すだちを全部絞っていただく。ノドグロは身が引き締まっていて極めて旨い。みなぎるような良質な脂は、豊潤豊沢という言葉を具現してあまりある。
10.千葉、大原の大黒鮑(だいこくあわび)と飯蒸
黒鮑より、さらに10メートル下に生息する黒鮑が"大黒鮑(だいこくあわび)"。蒸鮑とシャリがあんまり融合しないと思い、餅米を蒸して、そこに煮切り酒と塩水を昆布出汁で合わせたものに蒸鮑を合わせてみたのだと天本さんがおっしゃる。なるほど、餅米が蒸鮑とからんで極めて美味である。酢飯の強い酸と蒸鮑のぶつかり合う感じより、ぬくもりの中で溶け合う両者の融合にしばし言葉を失う。
これは、料理人としての知能指数の異様なまでの高さがみなぎった逸品である。この一品は、鮨のつまみというより、高度な日本料理のひと皿と対面したかのような胸騒ぎを覚える逸品であった。
11.20日寝かせた宍道湖(しんじこ)の鰻の焼き物
宍道湖の鰻が串打ちされて、付け場中央に鎮座するブロックで組まれた炭焼き台の上で、じっくりと焼き上げられる。いうまでもなく、こちらの鰻は蒸してない。蒸して旨みを流れ落とさないためだ。しかしでも、やはり天然鰻は素晴らしい。一口いただくが、バリバリと焼かれた皮目と身肉から溢れる鰻の良質な脂に圧倒される。鰻の皮目は、蒲焼にされることによって鰻とつけタレの甘味のみでキャラメリゼされ、カリカリとした食感をたたえており、その中から、いささかの抵抗もない肉厚の身が一気に口中に溢れ出してくる。
而今 純米大吟醸。華やかな香味、濃密な舌触り、それでいて重たくない。
12.千葉県房州の引き縄の鰹(かつお)、さっと漬け醤油にくぐらせて葱と生姜をすり潰した薬味を挟んで...
くだり鰹はつきたての餅の存在感。のぼり鰹は水ようかんみたいな凛とした佇まい。今の時期はその端境期にあたるのだろうか...鰹の旨味を、漬け醤油と葱と生姜でさっぱりといただく。
新政、R-type。新政独特の生酒らしい旨みを存分に愉しむ。
13.兵庫県由良淡路島の墨烏賊の握り
このねっとりとした舌触りはどうだろう!そして、この烏賊の纏(まつ)わりつくような食感に、粗塩がざらりと小気味よいアクセントをつけ、さらにその食感のコラボレーションを、酢の澄明な風味が懐深く包み込む。これは、一種名刀をイメージさせる冴え渡りがある一品である。
14.東京湾、船橋のシンコの握り
ギリギリ一枚漬けのシンコ。皮目が柔らかい。シンコだけれど3日間寝かせているそうだ。「東麻布天本」でのシンコの仕入れは、新口物(前日に獲れたもの)だとのことだ。留め、三番手、四番手は仕入れない。新口物を内臓出して〆て(つまり鮨屋の仕事をして)3日寝かせるのが絶対に旨いというのが「東麻布天本」の信念だ。逆に鮨屋の仕事をせず、留めや三番手で仕入れたシンコは、赤黒い血合いが出て臭みになってダメだという。
一口でいただくが、コハダが奏でる、あの心に渦巻く不協和音とまではいかないものの、シンコにもまた的確に淡く清楚で小悪魔的な音階を感じ取ることができる。
15.東京湾、鮃(ひらめ)の昆布〆の握り
媚のないこの弾力こそが鮃の持ち味だ。そして透き通る青空のような澄明な味調にこそ鮃の本来の特徴がある。旨い。
16.西伊豆の縞鯵(しまあじ)の握り、白身独特の酸味が立って...
「東麻布天本」はシャリが旨い。香りがある。酢がキツすぎないこのくらいのシャリがわたしは好みだ...しかし、この縞鯵も絶品であった。透けるような薄紅をさした蠱惑的な色調がまず素晴らしい。一口含むとコリコリとした食感の中にねっとりと舌にまつわりつく潤みが感じ取れ、酸味の強い青魚にはまったくないといってよい優雅な香りをもっている。鯛のような濃厚な風味はないものの。恬淡な男らしい風格をもって凛としている。
17.北海道、噴火湾の定置網で獲れた鮪の赤身の握り
深緋色(こきひいろ)した鮪の赤身...やはり鮪は赤身だ。口に含み耳をすませば、遠くに猛々しく脈動する血潮の階調が聞き取れる...
18.北海道、噴火湾の定置網で獲れた鮪の中トロの握り
中トロ。赤身と比較して、さらに脂のりが増す。咀嚼した途端、脂の旨みが塊となって、メランコリックなため息さながら鼻腔をゆっくりと抜けていく。
19.神戸の鯵の握り
良質な鯵である。清麗で爽やかにしまっていて、特有の澄んだ潤味のある香りがする。この香りの存在感が素晴らしい。浅葱と生姜を細かく刻んだ薬味と一緒にいただく涼しげな味感は、夏場の最高の肴といっても過言でない。
20.釧路の秋刀魚の握り
秋刀魚のワタをお酒で酒煎りにしたものを塗布している。この時期のものは、身肉(みしし)に蓄えている脂がそこまで迫力を持っていない。どちらかというと上品で、身肉に薄くお化粧を施した感じである。好感が持てる一品である。
21.福岡県産さわらの松前漬の握り
松前漬とは、刻んだ松前昆布と干したスルメと鮪の漬け醤油をあわせて、粘りのあるとろとろの醤油を作ってそこに切り身のさわらをつけて握ったもの。「海味(うみ)」の師匠の十八番。天本さんも大好きなお鮨だそうだ。しっかりした昆布の旨みが素晴らしい。また、さわらはやはり旨い。一口口に含むと上品な脂肪の甘味が口中豊かに広がる。低い哀愁を帯びた和音を耳にしたときのように心が落ち着いてくる...
22.下田須崎キンメダイの握り
キンメダイ。脂が乗っているわりにはさっぱりとした味わいだ。どこまでも凛として王者の風格とでも呼びたい身の引き締まりをひと噛みごとに感じる。そして、味覚に角が立っていない。優しい、グルタミン酸、イノシン酸で旨みがずうっとのこる。この旨味がずっと残る感じが何とも素晴らしい。
23.対馬の鯖の握り
これも良品であった。鯖本来の美質と血統のよさを示す高貴なまでに後味のよい香気がいつまでも口の中に残る。
24.北海道の野付(のつけ)半島の航空便で届いた生いくらの軍艦
見た目パンとはっているようにみえるけれど、単純に固くはっているわけではなくて、鮮度のいいうちに出汁醤油に付けているのでこれだけ鮮度がよく見えるのだそうだ。一口含むが、いくらひと粒ひと粒の陰翳のある沈んだ面持ちが何ともステキだ。口に含んだ際の塩味と潤みも絶品である。
25.福岡、姪浜(めいのはま)の4kgの鯛の握り
3kgを超えてこないと鯛は美味しくないと言われるけれど、これは4kgの鯛。 一口でいただくが、その噛みごたえ、香り、どれをとっても白身魚の王様である。鯛独特の王者の風格がいつまでも鼻腔のあたりに漂う。
26.北海道利尻島のバフンウニの握り
バフンウニは、茜(あかね)さす夕陽の色調を帯びていて、こってりと濃厚な風味と後味に消え入りそうな渋みをもっている。これも満足のいく一品であった。
27.車海老の握り
海老の香ばしい薫香が鼻先を抜ける...シャリとの相性も抜群だ。思わず目を瞑ってこの素晴らしい余韻を堪能してしまう。
28.江戸前の穴子の握り
こちらの穴子の握りはツメは使わない。甘くしない。皮目をこんがり天火(オーブン焼き)で焼いている。ホクホクの金時芋を食べているような旨味にうっとりする。
29.玉
「東麻布天本」の玉は、山芋は一切使わない。美しく、甘みがある優しい玉である。最後にお味噌汁で一通りとなる。
「東麻布天本」。ここは都内でも指折りの鮨の名店である。ここで饗される一品一品から感じ取れる、和食割烹の襟を正した繊細さに胸が騒ぐ。この胸騒ぎは、天本 正通の卓抜な料理人センスへのオマージュ以外のものではない。
2016/09/18 更新
焼き台に盛られた乾ききった藁たばの底に、真っ赤な種火が一点、そっと差し入れられる。途端に藁の隙間という隙間から煙があふれ出し、太陽の光を存分に吸い込んだ藁の芳しい香りが店内に屈託なく広がる。
店主は、まず、5本の金串が通ったたわわな一本釣りの"ケンケン鰹"の片身を、細心の注意をはらって、あふれる煙の中にくぐらせる。藁の香りで、片身に仄かな薄化粧が施すように。...そして、ほどなく藁しべを踏みにじるように躍り上がってくる焔の真っ只中に、金串をじっと据え置いて、今度は金串の先でしなる片身を、刀身のようにひたすら鍛えにかかるのだ。
...その間数10秒。
表面5ミリ分だけ火が通っているものの、そこから中心部にかけては、泣きぬれているように艶やかな潤いを帯びた"ケンケン鰹"の切り身がすっと饗される。
一口口に含む。...藁の薫香が、艶やかに煌めく鰹の旨みをそっと包み込む。刀身のように透徹した鰹の血潮を、藁の薫香がそっと覆うのだ。素晴らしい。...「東麻布天本」は少しご無沙汰になってしまったけれど、最初の一口をいただいた途端、やはり図抜けた鮨店であることを確信する。2020年3月9日(月)。素晴らしかった「東麻布天本」について以下書き綴っていきたい。
1.三重県の桑名の白魚
春を感じさせる逸品である。ぷっくりと太った存在感。紛れもない上物である。
2.佐賀県の唐津の赤ナマコ
これも旨かった。天本のひとつひとつの素材の良さに改めて舌を巻く。
3.千葉鹿島の蛤とほたるいか
ほたるいかと蛤の滋味を、アオサ海苔の風味がさっぱりと包み込む。これも春を感じさせる逸品である。鹿島の蛤は先日のペレグリーノでも使われていたことをふと思い出す。
4.鯛の白子
これが滅法素晴らしかった。まるで象牙のように滑らかな白子である。コクの強さに加えて、えも言われぬ繊細さが相俟った風味がたまらない。
このあたりから、天本という鮨店の1品1品に対するヤル気の凄さが、抜き身の匕首を突き付けられたみたに迫ってくる。品を饗されるたび、的確な言葉を見出せず、言葉をまさぐるようにうろたえる自分を発見する。
5.北海道、噴火湾の北寄貝
北寄貝のシャリシャリとした味調が心地よい。木の芽のさわやかな香りが春らしい。
6.青森の子持ちヤリイカ
印籠詰め。もち米を包むイカのふっくらとした甘み。
7.牡丹海老の紹興酒漬けに雲丹、牡丹海老の卵を添えて
ぷりっぷりの牡丹海老を、紹興酒に酔いどれた雲丹が包み込む...
最後にシャリを入れてリゾットにしていただく。
8."日戻り漁"の一本釣りの三重県の"ケンケン鰹"
紀州の湾内に入ってきた鰹。"日戻り漁"とは、有名な遠洋の鰹漁とは違い、名前の通り、釣ったその日に漁港に水揚げされる鰹のことだ。初ガツオの一番よいものである。初ガツオは固いものが多いが、これは脂があって、ふわふわしている。とにかくスゴい。
9.兵庫県産の牡蠣
海のこぼした涙の粒。瞳を閉じて堪能する。
10.鹿児島の石鯛の焼き物
今日で3日目の石鯛。身がふくよかで、味わいに鯛独特の品性がある。
11.鯛の握り
さぁ、ここからが握りだ。まずは、鯛。柔らかく優しい。春の言祝ぎを感じさせる握りからのスタートである。
12.西伊豆のシマアジの握り
この仄かに茜(あかね)さす艶やかなフォルムはひとを陶然とさせるものがある。気持ちを落ち着けて指先で摘んで、口に放り込む...その肉質は強い弾力性があり、脂の載り方が緻密である。これは紛れもなく青ものの最高峰である。この慎ましやかな品性と落ち着いた存在感に思わずため息がもれる。
13.突きん棒で獲った銚子のカジキの握り
この時期しかない。1週間寝かせたもの。滑らかで美味しい。後味に漂うまろやかな香り...これが"突きん棒漁"の甘美な香りかもしれない。
14.墨烏賊の握り
紛れもなく墨烏賊の肉のしっかりとした存在感が感じられ、歯触りもコリコリとして格別だ。ただし硬さはなく、噛みしめるほどに烏賊特有のねっとりとしたテクスチャに変化してくる。
15.銚子の金目鯛の握り
皮が柔らかいので、炙らないで出されている。珍しい。炙らない金目も乙である。柔らかな金目の香りを静かに愉しむ。
16.三陸のかんぬきの握り
さよりの大物。ふくよかな味わい。名刀のような冴え返りに息を呑む。
17.塩釜の鮪の中トロ
藤田水産。鮪の脂に、鮪の血潮が、ほのかに化粧を施すように、まろやかな衣をまとわせている。
18.定置網の福島県産の鮪の大トロ
46kg。こちらは、がっつりと脂を纏っている。ただ、全体にトロトロな大トロではなく、筋を噛んで旨み感じる大トロである。
19.関西空港で獲れたこはだ
関西空港は釣り人は入っちゃいけないそうだ。そしてこの時期のもの。寝かせて3日目のこはだ。青身特有の味の濃さの向こうに蠱惑的なコハダ臭が漂う。
20.鮪の海苔巻き
東京湾の海苔である。味が濃くて旨い。強さがある。
21.宇部の海老の握り
すっと付け台の端っこに配置される(笑)。炊き立ての巻き海老の握りで落ち着く。
22.(お代わり)こはだ、カジキ
ここで、特に素晴らしかった2品をリピート。
23.穴子
穴子もしっかりとした仕事が施されているのがわかる。あまりトロトロではなく、しっかりとした身質を通して穴子の香りが愉しめる。
玉で一通りとなる。
「東麻布天本」。食材の1つ1つが、お皿の中できりりと立っている。その味わいの際立ちぶりに、ここがやはり全国的に見て図抜けた鮨店であることを確信した!