橋場での見せ場 : 筑波家

台東区橋場2丁目。台東区の北東部、その最先端に位置する辺鄙な場所、橋場。隅田川には、1913年まで最後の渡しとして、橋場の渡しがあったという。住居表示はその渡しが由来でもある橋場は、私が月に数度、山谷地区にある大作書店の行き帰りで通る場所。
　この界隈、昔ながらのバラック長屋も数多く現存し、明治通りを隔てれば東京ガスのガスタンクも鎮座する強烈な環境。『あしたのジョー』や『巨人の星』等の原作者として有名な梶原一騎も、この橋場に住んだことがあるという。
　そして意外に知られていないのは、ここ橋場2丁目に平賀源内墓があること。江戸時代中期から後期にかけて活躍した発明家で、エレキテル（摩擦起電機）の復元製作や、火浣布（石綿の耐火布）の発明でつとに有名。グルメな読者の方には、「土用の丑の日」のキャッチコピー生みの親として認識されているかもしれない。安永8年（1779）に殺傷事件を起こし、小伝馬町の牢内で獄死。当地にあった総泉寺に葬られたといい、総泉寺が板橋区小豆沢に移転した後も墓はそのまま保存。昭和6年には松平頼壽（旧高松藩当主）により築地塀が整備され、昭和18年に国史跡に指定されたという。そんな平賀源内との因縁浅からぬ橋場にある鰻の店が、こちら筑波家。創業80年を超える老舗のようで、店の前を通ること数知れず。
　あれは昨年の9月。千束4丁目の武蔵での食事後、東向島の自宅まで歩いて帰る道すがら、店頭でおかみさんらしき女性が、タクシーに乗り込む客をわざわざ見送る姿を発見。その脇を通り過ぎる際、私の方に流し眼を送ったおかみさん。もしかして私への色目だったのか、自分勝手な妄想。そんなこともあって、頭の片隅に気には止めていた。
　ある平日の仕事終わり。いつものように、大作書店で立ち読み防止シールの貼られた実話誌を購入、帰宅途中で食事をすることに。その時頭に浮かんだのは筑波家の鰻。今年になって、養殖ウナギの稚魚が3年連続で不漁の見通し、価格高騰のニュースを見聞きするにつけ、気軽に食べられない時代はすぐそこまで来ているかもとの不安が後押し。外食予定の店を変更して当店へ。
　店の目の前では道路の舗装工事の真っ最中。信号待ちをしている間、従業員らしき男性が向かい合う形で玄関の自動扉の開閉を繰り返している。どうやら扉の開け閉めがぎこちないようだが、調子が悪そうだ。信号が青に変わって、その従業員は引っ込んだが、続けざまに店内へと潜り込む。
　思った以上に広々とした、客が不在の店内。テーブル席に腰掛けると、扉は閉まり切れずに1/3程空いたまま。お茶とおしぼりを持ってきたのは、おかみさん。ピンク色のタートルネックのセーターにやや派手なメイクを施して、昨年遭遇した女性に間違いない。「扉閉まらないですね」と指摘すると、「そうなんですよ、何だか調子が悪くてね」と困り顔。調理場に戻る際、手で閉め終えた。
　手元のメニューを眺めると、うな重の他にも天重や天ぷら定食もあるようだ。もちろん今夜は鰻目的なので、そちらを眺めると特上と松竹梅で４ランクに分けられる。一番安い梅で１５００円、特上だと２８００円だが、初めての店ということもあり、松（２２００円）で様子をみることに。
　こちらに近づくおかみさん、読売新聞の夕刊を持ってきてくれた。「（夕刊なので）薄いけど、スマートフォンの方がいいか」と呟きながら、テーブルに置いてくれる。私がスマートフォンをいじっている姿を見つつも、なかなか気が利くおかみさん。せっかくなので、新聞をペラペラと捲りながら待つこと２０分ほど。
　黒光りしたお重にてうな重の松が運ばれてきた。蓋を開けるとびっしりと鰻が敷き詰められ、照りの色艶含めて見た目は悪くない。ただしこの寒い時期のせいか、鰻の身は薄っぺら。「まるでおかみさんが先ほど持ってきた夕刊紙のようだ」と言おうものなら、代わりに朝刊を持ってきてくれるのだろうか。
　実食しての感想は、少し辛めのタレは私好みなものの、ご飯も柔らかすぎで少々首を傾げざるをえない。それでも平賀源内が眠る橋場で噛みしめる鰻の味に、悠久のロマンを感じずにはいられない。
　会計のためおかみさんの元へ向かうと、「外の工事がうるさくてすみませんね」と頭を下げる。「あ、そうだ。面白いものをお見せしましょうか」と言うや否や、出入口横の冷蔵ケースの上に置かれた獅子舞の置物に向かってパチンと手を叩く。
　すると祭り囃子の笛の音と共に、クネクネと踊り出す獅子舞。「うわぁ、凄いですねえ」と少々大げさに驚くと、してやったりの顔つきなおかみさん。間違いなくこれまでも一見客に同じことを繰り返してきたに違いない。
　「もしかして外の舗装工事の音に反応して、動き出すこともあったりします？」と尋ねると、「いえいえ、それはないですよ」と真顔で否定する。私としては、半ば冗談のつもりで話したつもりが本気に取られたようで、内心は苦笑い。
　おかみさんに一礼をして店を出る。そういえば、と調子の悪い扉が少し気になり後ろを振り返れば、やっぱり1/4ほど開いたままだった。