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Funkyのイサキと万願寺唐辛子の南蛮漬け、仔羊のスパイス焼きパクチー添えなど
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さんどがさ
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さんどがささんの他のお店の口コミ
店名 |
Bar&Kitchen Funky
|
---|---|
ジャンル | ダイニングバー、バー |
予約・ お問い合わせ |
0422-21-1464 |
予約可否 |
予約可 |
住所 | |
交通手段 |
JR、井の頭線吉祥寺駅から歩いて4分 吉祥寺駅から192m |
営業時間 |
|
予算 |
¥5,000~¥5,999 |
予算(口コミ集計) |
¥6,000~¥7,999
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード可 (VISA、JCB、Master、AMEX、Diners) 電子マネー可 (nanaco、QUICPay) QRコード決済可 (PayPay) |
サービス料・ チャージ |
チャージ料 ¥660 |
席数 |
40席 (1階、2階席があります。) |
---|---|
個室 |
無 |
貸切 |
可 |
禁煙・喫煙 |
全席禁煙 店外に喫煙可能スペースあり。 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | オシャレな空間、落ち着いた空間、カウンター席あり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり、ワインあり、カクテルあり、ワインにこだわる、カクテルにこだわる |
---|---|
料理 | 野菜料理にこだわる、魚料理にこだわる |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
ロケーション | 一軒家レストラン |
サービス | 2時間半以上の宴会可、お祝い・サプライズ可 |
お子様連れ |
中学生以下のお子様のご来店はお断りさせていただいております(貸し切りは例外)。 |
ホームページ | |
公式アカウント | |
オープン日 |
1960年 |
備考 | |
お店のPR |
創業1960年。
“大人が集う社交場”のような空間で、お料理とお酒とあらゆる利用シーンに御対応しております。半世紀もの間、吉祥寺という街を造り、見守り続けてきたお店が「Funky」。吉祥寺の父とも呼ばれる野口伊織氏が最初にプロデュースをしたのが当店。老舗でありながら新しさを追求し続けるここで今宵、酔いしれること間違いなし。 |
初投稿者 |
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2018年6月11日(月)夕食。相方と。
今の若い人は知らないだろうが、吉祥寺は最初から吉祥寺だったわけではない。僕だって最初の頃は知らないが、吉祥寺が洗練された街になったのも、ジャズの街になったのも、カフェやバーがたくさん集まる街になったのも、サブカルチャーを発信する街になったのも、誰かがそういう街にしたからだ。最初に始めたパイオニアがいるのである。それが野口伊織さんだった。伊織さんが「吉祥寺を創った」と言われるのにはそれなりの理由がある。
昭和35年(1960年)、両親の純喫茶「ブラジル」の下で高校生野口伊織少年が提案した「ファンキー」が誕生。そして昭和41年(1966年)、「ファンキー」新規開店。日本のジャズブーム、ジャズ喫茶文化を牽引。全国からジャズファンが押し寄せたと聞く。
ただ、当時都内にはすでにジャズ喫茶は存在していた。ファンキーが日本のジャズ喫茶の発祥だったわけではなかった。どうしてファンキーがそれほどの人気だったのか? やはり最初はパラゴンを聴きたいという客が多かったのだろう。それに加えて2階をお喋りのできる空間にしたこと、アルコールや料理を出す店にしたことも大きかったに違いない。
僕はあちこちで言っているしこれからも言っていこうと思うのだが、日本の喫茶店や居酒屋で普通にモダンジャズが流れるようになったのも、伊織さんがそういうことを始めたからだ。伊織さんが初めてではなかったかもしれないが、広めたのは伊織さんだ。「野口さんの新しい店行った? 普通の居酒屋なのにマイルス流しているんだぜ」と友人と話して笑ったことを昨日のことのように覚えている。
僕はジャズブームもジャズ喫茶ブームもとっくに下火になっていた1984年頃から吉祥寺のジャズ喫茶に通い始めた。その頃すでにファンキーは吉祥寺ではもちろん都内でもいちばん有名なジャズ喫茶の一つだった。それで僕には何となく敷居が高かった。だからその当時は数回しか来ていない。でも困らなかった。吉祥寺にはすでにジャズ喫茶が林立していた。メグ。A&F。僕はそのどれでもない近鉄裏のあまりぱっとしないジャズ喫茶に通うようになった。やがてそこでアルバイトまでするようになった。そこがいちばん無名で、僕にはいちばん居心地が良い店だったからだ。
伊織さんの顔はあちこちで見た。彼が経営する店で。近鉄裏の路地で。交差点で信号待ちをしている時などにも。一度話し掛けたのは、アウトバックだったと思う。「近鉄裏のファミリーでアルバイトしているんです」と緊張しながら自己紹介したのだと思う。そのあと何を話したのかは覚えていない。大した話はしなかったのだろう。
この夜はたぶん10数年振り、6月のもうすぐ雨が上がるだろうという夜に相方を誘って来てみた。実は2人で来るのはこれが初めて。でも彼女も1980年代に一度来たことがあって、1階のジャズ喫茶のフロアで、緊張しながらコーヒーを飲んだのだそうだ(どうして我々はこういう時に緊張するのだろう?)。その当時もしかしたら擦れ違っていたかもしれないと想像する自由が僕たちにはある。
2階に上がって、生ビールを注文する。イサキと万願寺唐辛子の南蛮漬け(680円)、仔羊のスパイス焼き パクチー添え(780円)を頼んで食べる。パラゴンは健在。マッキントッシュも健在。ニューオーリンズっぽい音楽が掛かっていると思ったら、あとで黒板がプレイリストになっていることに気が付いた。ホット8ブラスバンドというグループの演奏だった。
お客さんは1組、また1組と入って来る。結局いちばん多い時で5組くらいになった。生ビールをおかわりし、岡山県産 岩牡蠣・イクラとエシャロットビネガー(680円)を2つ注文。さらにビールの杯を重ね、ピッツァ マルゲリータ(980円)、燻製牡蠣のチーズリゾット バルサミコソース(1200円)を頼んで食べる。料理はなかなかおいしいと思いながら食べたが、最後の燻製牡蠣のチーズリゾットは非常においしかった。
音楽はマリーナ・ショウになり、ジミー・スミスになる。この夜2階のフロアを担当していた男性は普段はオールド・クロウにいるそうだ。宜しければ3階にどうぞと、長年下から見上げるだけだった空間に上がって写真を撮ることを許してくれた。そこは素晴らしいところだった。ああ、伊織さんいつもここにいて、この店を見守っていたんだなあと、しばし感慨に浸った。
生ビールを合計8杯飲んで、会計は10584円だった。音楽はニーナ・シモンに変わる。2階の客は僕たちだけになる。吉祥寺に長く住んでいるので、いつまでも続いて欲しい店、なくなって欲しくない店はたくさんある。でも考えてみたら、いちばん続いて欲しいのはファンキーだ。この店になくなってもらっては困る。だってすべてはここから始まったのだから。
長居をして、外に出ると、雨はほとんど上がっていた。吉祥寺は何も変わらない。この30年ほとんど変わっていない。たった一つ、野口伊織さんがこの街からいなくなってしまったことを除いては。
*これでレヴューが3000店になったと思います。それでファンキーに行ったのですが。うち吉祥寺が775店。初レヴューが2013年9月1日なので4年9ヶ月11日目、日数にして1745日目でした。