私の嗜好に適う「蕎麦懐石」の佳店 : クワサル

　こちらについての好ましい情報は、方々から入っていた。
　しかし場所が浅草でも「じゅうろく」よりさらに奥まった所のようで、なかなか足を運びづらかった。
　先日訪れた「山介」のご主人からも＇私向けの蕎麦屋＇との助言を受けていたので、この連休中に寄ってみることにした。

　2日前に営業状況と予約の有無を電話で確認。
　正午から夜までの通し営業で、コースをお願いしておくのが好ましいとのこと。
　12時から1名で、5,000円のコースを頼んでおいた。

　到着すると表の看板には「浅草茶寮」の文字が大きく、その下に「Kuwasaru」が表記されている。
　定刻に入店したが、私にはカウンターの奥の方の席が用意されていた。
　席数は20席ほどあるが、30代後半と思われるご主人が一人で全てを賄っている。

　ご主人は岩手県出身で、店名の「クワサル」も岩手の方言で＇箸が進む＇と言った意味のようだ。
　まずはビールに「プレミアムモルツ」をもらったが、品書きをよく見たら盛岡の地ビールの「べアレンビール」が載っており、こちらにすれば良かったとちょっと後悔。

　料理は次のような季節感あふれる品々が、丁度良い間隔で出された。
「初鰹の低温調理　おろしポン酢」：一見「なまり節」のようだが、低温調理された鰹は実にソフトに仕上がっている。
　芽キャベツとケールを交配した、プチヴェールが添えられている。

「三種盛り合わせ」は「黒鯛の食用タンポポ巻き　海苔醤油かけ」「うるいのお浸し」「甘鯛の蒲鉾」。
　タンポポとは珍しいが、これも岩手から取り寄せているそうで食感が良く、これを黒鯛の刺身で巻き、海苔を醤油や酢・出汁で調味したものが掛かっている。
　蒲鉾だけは既製品だが、独特の味と歯触りが面白い。

「蛍烏賊と海苔、野芹の椀物」：蛍烏賊は方々で捕れるがやはり富山湾が一番とのことで、肝がしっかり入りそれが汁に旨味を与えている。
　もちろん食感の邪魔になる目玉や軟骨は、丁寧に抜かれている。
　海苔の風味と野芹の鮮烈さが加わり、さらに木の芽と桜花の塩漬けが香りを添える、まさに春爛漫の椀物。

「静岡産平目の翁焼き」：翁焼きとは表面に「とろろ昆布」を纏わせて仕上げる手法。
　ふっくらとした平目の身に昆布の旨味が加わり、下に少量流された出汁が両者を纏める役割を果たしている。
　添えは「ケールの菜花」で、菜花とは＇菜の花の新芽＇だけを指すと思っていたが、「アブラナ科」の他のものも呼ぶことを初めて知った。

「揚げ蕎麦がき」：適度な硬さに練り上げた粗挽きの蕎麦がきを、一つにまとめて油で揚げられている。
　少量のそばつゆが張られ、紅葉おろしと青ネギ・揉み海苔がトッピングされている。
　外はカリっと、中はモチっとの食感の対比が好ましい。

　酒もすべて岩手県内の銘柄。
　迷っているとご主人が＇3種の飲み比べも出来ますよ＇と言ってくれた。
　選んだのは「季楽 桜 純米霞酒」「春てきてき」「龍泉 八重桜 特別純米」で、3つのグラスに注がれる。
　ようやく桜が満開になったであろう、岩手の遅い春を想起させるラインナップとなったが、それぞれの個性が際立ち、淡麗から芳醇への流れも良かった。
　
　さらに蕎麦がきに合わせて、赤ワインを一杯。
　こちらも花巻のワイナリー「エーデルワイン」の「ツヴァイゲルトレーベ」と言う銘柄だが、こちらもなかなか良かった。

　蕎麦は「せいろ」が付くが、もちろん蕎麦も岩手産。
　中太に揃っており、細かな星も見えてやや黒っぽいが、舌触りは滑らか。
　香りは十分で、蕎麦自体の味も濃い。
　
　つゆは＇かえし＇と出汁のバランスが良く、雑味のないすっきりとした味わい。
　最近私がよくやるように、蕎麦だけを先に啜り、その後から少量のつゆを口に含ませるスタイルで食べ進めると、より蕎麦の美味さが確認できた。

　蕎麦湯は口開けでもあるため、手が加えられてやや粘度が感じられるもの。
　しかし嫌みはなく、つゆの味を楽しむには問題なく、すっきりと〆られた。

　コースには甘味も含まれ「苺とアイスクリームの白ワインジュレかけ」と言ったものが出された。
　アイスクリームも自家製のようで、細かな部分にも神経が行き届いている。

　内容の濃い「蕎麦屋酒」を堪能し、満足度はかなり高い。
　全体的に丁寧な仕事ぶりが貫かれ、随所に繊細な技が施されている。
　季節感の取り入れ方や、盛り付けのセンスにも光るものが感じられる。
　お勘定は8千円ちょっとなので、内容からすればリーズナブル。
　

　しばらくは貸し切り状態だったので、ご主人とは色々とお話しできた。
　ご主人はかつて赤坂に在った、高級蕎麦懐石の名店「たけがみ」で修業された方。（「たけがみ」の技と味は「神谷」に引き継がれている）
　前述の通り岩手の出身だが、実家は宮古と釜石の間の山田町に在り、そこで食堂を営んでいたとのこと。

　実家を手伝うため「たけがみ」での修業を終えて帰郷しようとした数日前、東日本大震災が発生し、実家は津波で流されてしまったのだそうだ。
　幸いにご家族は皆無事で現在は実家も再建されているが、自身は東京に残り、故郷の産物を使った店を設けたいと言う一念から、4年半ほど前に開いたのがこちら。
　ご主人の真摯な仕事ぶりには、その思いが込められているように見受ける。
　

　平日は15時からの営業とのこと。
　半端な時間帯に訪れて、さらにじっくりとご主人の技量を味わいたい気持ちを強く持つ。

　同じような形態の、近くの「じゅうろく」も決して悪くないが、最近は人気が過熱して、雑多な人間が押し寄せている状況。
　こちらもあまり評判が高まるとゆっくり出来なくなるおそれがあるが、私の嗜好に適う佳店として通い続けたいと思う。