無料会員登録/ログイン
閉じる
気になるお店はこちらで保存ができます
空席確認・ネット予約
閉じる
リクエスト予約希望条件をお店に申し込み、お店からの確定の連絡をもって、予約が成立します。
1 予約の申し込み
ご希望の条件を当サイトよりご入力ください。
2 お店からのメール
ご予約が承れるか、お店からの返信メールが届きます。
3 お店へ来店
予約が確定した場合、そのままお店へお越しください。
電話なら予約できることがあります
閉じる
03-3842-2020
最新の情報は直接店舗へお問い合わせください。
雷門 満留賀/正々堂々のまるか
今朝がた、上野広小路PARCOの袂はことさら寒風が吹きすさび、今年初めて冬を感じる。冬が来る前に、もう一度あのひととめぐり逢いたかったが、なにひとつ叶わぬままに ……
秋から冬へ。
それは私にとってsentimentalから絶望へ、ということを(道往く女性の露出度ということで)意味するが、これは意外なことだが完全なる絶望の境地に至るということもまた、人間にとっては相当に高度なことなのだ、ということはだけは、タルコフスキー監督「ストーカー」を2度観た人間として、ここに申し上げておく必要があろう
<R3.11.24>
「雷門 満留賀」
新仲見世のアーケードに松屋側から入っていって、目星を付けていた「レストラン 東洋」さんに目をやれば、無情にもシャッターは下りたまんま。
あれほど頻繁に利用させて頂いていた「マイアミ ガーデン」さんにも、その反動でか最近とんとご無沙汰続きで、今日もその階段を下りていく気はしない。
そのわずかに手前には、町中の「満留賀」さんとは一線を画す(ような気もする)「満留賀」さんがあって、しかしふだんこのポジションからでは絶対に「尾張屋」さんを選んでしまうぼくなんだけど、自分の中の“満留賀スケール”を校正し直しておこうという意味も込め、店先で構えを整えることに余念なきおじさんの横をすり抜けて暖簾を割った。
未だ早い時間だったがさすが老舗 ! 既に2組の先客有り。
どちらでもとのこと、フリーの二人掛けがないように見えたので、4人掛け卓を一人使いさせていただくことに。
注文は「尾張屋」さんと比較させていただく為にも、心の中で既に決めていた
“ざるそば” @700
“おそば大盛り” @200
「ざるそばを大盛りにしてください」
「はい ?」
「ざるそば大盛りでお願いします」
「はい。さるそばを、大盛りで、よろしいですね ♪」
と、そんなやりとりで、先に入っていたお客さんたちにざるそば大盛りのオトコとして擦り込まれてしまったと思うと、ちょっぴり恥ずかしい ……
海苔は形式美に則り、手千切りが守られている。
ざるそばの海苔が手千切りであることと、箸がちゃんとした長さを持つ割り箸であることは、国際そば屋協同組合が定めた(そんな組合は無い !)、真っ当な日本蕎麦屋の最低条件である
そして舞い降りた、ふつうの満留賀のそばよりも1段階グレードの高いものだと思っていたそのそばは果たして !
―― これ、まったく以てふつうの満留賀のおそばじゃん ! これこそが基準だったんだよ ! 今知ったわ(笑)
新規の店でこれが出てきたならば、その時点で即落胆する私なのだが、こちらにおいて堂々とこのおそばが出てきたことには、寧ろ感動すら覚える。
品良く誂えられた蒸籠、器類、奥でぴりりと引き締まった辛さを持ったとんがらし、ぎんぎんに熱き透明の湯 etc.
それらで隙なく脇を固められたなら、なんとなく力業で納得させられてしまう自分のことをもう誰も責めることなどできやしないと、寧ろ庇いたくなってくる(笑)。
なんて思いながら帳場へ向かえば、ああっ !
一万円札しか持ってないわ ! もうそば食う資格ないよ、そんなヤツ !
そんな野暮なオトコにも嫌な顔ひとつ見せず、堂々きれいなお札を揃えて渡してくれることが、こちらの構え(浅草の老舗の構え)のすべてを象徴しているようであった
満留賀/アーケード下、その超絶技巧
待ちに待ったSTAY HOME 週間到来 !
こんな時に外食など言語道断 ! ということで、過去の回想に耽ってみたりして ……
(その実、差し戻されて放っておいたレヴュウをモディファイして再投稿してみただけのこと)
<H30.5.24>
今日も大盛況の浅草、雷門。
蒼空の中に、厚く遮断性の高い雲が更紗のように点在しており、強烈な陽射しがそいつらの流れに遮られるたび、街の光量がかなりのレンジで上昇下降を繰り返す様が、なんともユーモラスに映えていた。
ちょうど正午。
いつものアーケードに突っ込んで、硝子越しに覗いた「東洋」の店内はまたもけっこうな賑わい。なのでそこは気圧されてパスし、雷門通りに出る路地に回り込む。「東洋」さえもあんな状態であれば、もういつもの地階のスパゲッティ屋に縋(すが)るしかないか ……
すると、私の中で理由は分からないんだけど、日本蕎麦をやりたいという気持ちがにわかに立ち上った。だとすれば、この辺りでの私にとってのそれは雷門通り沿いの「尾張屋」がベストだが、如何せんゆったりと着席できるかどうかが気になるところ ……
拠って、ついこないだやったばかりであったが、同じくアーケードの中のお蕎麦屋の暖簾をふたたび割った
「雷門 満留賀」
この界隈としてはまだ時間が早いのか、先客は壮年のご夫婦一組のみ。
適当に、アーケードの通り側の二人掛けの席に腰を下ろす。コップの水を置いてきざま、お姉さんは私に、お決まりになりましたら声をお掛け下さいと。で、決まったので仕切りの死角に入っているお姉さんに声をかけた。
私は飲食店で見えない人に声をかけるのは、そんなこと言っといて結局声かけても気付かないじゃんかよ !、という切ない思いを散々させられてきたので、あんまり好じゃないんだけど、でも蕎麦屋ならそれを安心してやれるということを知っている。
果たして今回も花番さんは滞りなく注文を捌いてくれるんだけど、何故おそば屋さんだけがそれを難なく成せるのかといったら、店内の構成材料の多くを“木”と“紙”とすることにより“気配”の透過性が高くなっているのではないかということと、あとはもう単純に言って、他ジャンルの店舗と比べて比較的、ベテランが揃っているから、ということになるんだろう
“ざる/大盛り” @900也。
定石通りにきんきんに冷えた蕎麦が気持ち良い。
「尾張屋」のざる大盛りはちょうど千円札一枚。対して百円玉一個分安いこちらだが、その差額とそば (の質) とを秤(はかり)にかけたとき …… いや、それを考えないように考えないようにしなきゃ駄目なんだけど、でもつい ……(笑)。
「あ~、ビール飲みて~なぁ~ !」
男性チームが隣に着くなり心の底から呟いた。
見れば仕事中の昼休みのようで、それをやるのはまだ憚(はばか)られるのであろう。
そしてやおら花番さんに、「あの真ん中に玉子ののってるやつ、それの冷たいので」という超アバウトな注文を繰り出して、花番さんもそれをふつうに「やまかけですね ?」と平然と受け切ることが出来るということも、それもそば屋の花番さんの一つの超絶技巧 !
BGMは、昨今盛り上がりをみせる某大学アメフトチームの危険タックル問題。
スポーツライター氏が、やり方が古すぎる。怒りというもので究極のパフォーマンスを引き出そうとするのは、継続的には無理なのだ。と宣っているんだけど、怒りとか恐怖とかご褒美とか、そういったものの選手たちへの注入が、少なくとも短期的には効果を発揮し続ける限り、たぶんそのやり方は程度の差はあれ、暫くは無くならないんじゃないかなぁと思う。
―― また学生チームでの活動期間も短期、というのがそのやり方にマッチしてしまっているものだから、質が悪いよなぁ ……
満留賀/これはこれで
引き続き暑い。
雷門のまわりはとくに (笑)。銀座線の車中で日本人ガイドのついたイタリア人観光客数名グループと遭遇。座席にたまたま (観光用の派手派手しいのではない) 和服の日本女性三人組が着いていた為、お互い興味津々でたどたどしいコミュニケイションが開始され (まあ、ガイドの人いるんだけど)、奔る運命のメトロ車内は、さながら素人着物モデルの撮影会と化した
<H30.5.16>
「満留賀」
小上がりにいつかの既視感を覚えるのは、修学旅行生のチームがあるからか。
まさか卒業旅行のしおりにこちらの店が載っているとは思えないのだが。修学旅行生はどうしてもそれなりの人数となるので、それなりの箱を持つ店しか受け入れられないと思うのだが、老婆心ながら心配事は、中学生のお昼ご飯としては、みんな育ち盛りで素の蕎麦 (もりそば一枚) とはいかないだろうし、ちょっと高くついちゃうよなぁ、ということ
“深川せいろ/大盛り” @1,300也。
大盛り分の値段が見えなかったので、ちょっと不安。
だがしかし、ふつう盛りの @1,100 に対しお会計時にプラス200円という明朗会計であった。確かにこのくらいの常識的範疇であれば、わざわざ大盛り幾らなんて謳う必要ないかも。
“深川せいろ”ってどんなのか分かんなかったけど、冷たいお蕎麦に熱いつゆ。あさり入りなのは、これは予測のとおり。
昔家でお母さんがよく冷や麦を茹でてくれたが、思えばその時も冷たい麺に温かいつゆの組み合わせで、これは私にとって懐かしさを覚えるともいえる。家でのそれはおそらく、その日のその日で出汁をとって冷ます時間がなかったからだと思うんだけど、一口ごとに表情を変えるその温度変化の面白さってことはあると思うけど、でもやっぱ冷たい麺は冷たいつゆで食べたいよなって、ガキながらに …… (笑)
で、当然、お蕎麦はつゆにぜんぶ落としでやる。
あさりの出汁がなんとも言えぬ下町感を醸す。時折底に沈んだあさりの身をサルベージしてやって、蕎麦といっしょに啜り込んだ。自らの仕事を真っ当に果たし、そのうちに蕎麦を温める熱量を失ったつゆも、しかしどこか誇らしげに思えてくるから不思議である。
こちらのお蕎麦はなんの凄みもないものだけど (おいおいおい ! でも余所の満留賀のそばと比べたら、こちらのそばはそれらよりも二段階ほど上のものと思ってる) 、でもこういう食べ方には、これはこれでマッチしているような気がした
雷門 満留賀/浅草蕎麦客群像
【平成27年6月/再訪録追記】
今にも落ちてきそうな厚ぼったくて重たい雲の下。
と思っていたらもう、雷門通りに雨粒がはらはらと降りはじめた。べつに歩みは早めない。何故ならいつものアーケードがもう目の前だから ……
「雷門 満留賀」
ふつうの蕎麦が食べたかった。
二日間の名古屋滞在で涸れた躯が、それを渇望していた。蕎麦中毒患者における蕎麦という“スペシアルなもの”は、決してきしめんで代替出来る代物ではないのだ。
午後一時の少し手前。
二人掛けのテーブルが充実しているし、座敷以外はわりかし空いていたので、滞り無く着席することが出来た。
横には若いカップル。
彼女はオレンヂ系の華やかなミニのワンピース姿で脚をあっけらかんと組んでおり、真っ白な脚を艶めかしく見せつけていた。その眩しさが私の精密回路をショートさせたか、口をついて出た言葉はまさかの !
「天丼ください !」
―― おいおいおい、どうすんだよ今月もまた ! このエンゲル係数 !! なんて、家計簿なんてつけてないけどね ♪
“天丼” @1,450也。
シンプルに、海老二尾のみの天丼。
拍子抜けはしなかった。もう驚かない。浅草の老舗と「天丼てんや」を一緒にしてはいけないのだ。
―― その浅草で堂々店を構えているということが、「てんや」の凄さであるのだけれど
今、目の前に与えられたものに満足することが出来ない者は、結局、永久に満足出来ない。そう私に教えてくれたのが和田アキ子であるということは、もう何度も先述させていただいている。
蕎麦屋で蕎麦を完全に逸れたものを注文したのは、今回で二度目か三度目か。この姿をもし昔の自分が見たとしたなら、おそらく彼(過去の自分)は私を嘲(あざ)け笑うだろう。我ながら今のこんな自分の姿を想像なんか出来なかった、というか、今でも出来ないのだが、それが自分にとっての何らかの“進化”ととらまえれば、無理矢理納得できないこともない。
天丼は、上品なたれが量的には十分ながら、その上品さにほんの少しの物足りなさを感じる。海老は私が最近よく用いる“老細工”というところからはさすがに、正々堂々とかけ離れた次元にいるものだった。御付けに独特の風味が感じられるのは、これは若芽の強さか、それとも油揚げを辛く炊いておとしているからか
いつの間にかアーケードの通り側、私にとって正面の卓に着いたカップルの、背中向きに着いた女性のタイトなミニスカートからこれまたすらりと生えた、黒いストッキングでコーティングされた魅惑の太股を発見。がむしゃらに海老と対峙していた私だが、気付けば太股にはさみうちにされているという窮地に追い込まれていたということに、ふと気が付いた。
この太股から離脱する戦術はないかと海老の尻尾に問うたが、力無く横たわる彼からはその答えを得られそうに無い、というか、それを迫ることが少々酷に感じられ、もうそっとしておいてあげることにした。
そう。私はもう、おとなしくはさみうちされてしまおうと覚悟したのだ
------------------------------------------------------------------------------------
【 平成27年4月 / 再訪録追記 】
天気がとても良く、ぽかぽか陽気だった。
例の如く浅草食通街を東へ歩いて、例の如く迷い子のまんま仲見世を渡った。そこらへんの、我々からしたらなんでもないようなものを見る、海を越えてやってきた異国の方々の目が、蒼天の下でとんでもないほどに輝いてみえた
「雷門 満留賀」
兎も角、今日は蕎麦でいこうと決めていた。
昨日の酒にいい調子でやられていたからだ。胃が。こちらの暖簾を割ったのは二度目か。お蕎麦の印象はあまり残っていないが、立地、店構え、屋号、これらの情報から、私の集積回路が導き出した情報は、ある程度値段の高い(それは立派なショウケースを覗けば事前に確認できるが)、お蕎麦はそこそこ、客あしらいだけ徹底的に裁けたお蕎麦屋さんなのかなと ……
“ざる 大盛り” @900也。
因みにふつうの“もり” @650、“ざる” @700。
尾張屋よりはやや小さめに、手で丁寧にちぎられた海苔にたまらなく情緒を感じた。盛りはふつうに、町場の“満留賀”なみ。ということはけっこう大盛りとなっていて、一方蕎麦の質(たち)はというと、これは町場の“満留賀”一般よりも確実に上をいっているであろうが、とくに食い手に対して凄んでくるようなものではなく、優しいお蕎麦。
初回訪問時には気付かなかったか、あるいはその後更新されたのか、朱の湯とう、橙色のつやつやの蕎麦猪口、フレッシュな抹茶グリーンの汁徳利、どれもすごく若々しくて魅力的なものであった。
やはり蕎麦猪口は焼き物のざらりとくるものではなく、このような漆塗りのつるりとしたもののほうが、断然マッチすると思う。
奥の小あがりでは、言葉のイントネイション的に地方の娘たちとは思えなかったが、少女隊五人衆が、いちいち良い意味での驚きの中でお蕎麦をやっていた。そこへ今度は、私の隣に一人お婆ちゃんが着いた。
若々しくも天ざるを注文するお婆ちゃん。
ふつうのもり蕎麦をやっていて、隣で天ざるとか天ぷら蕎麦を頼まれると、途轍もない敗北感に襲われるのはいったい何故か
隣のお婆ちゃんに天ざるがやってきた。
蒸籠三段重ねで、一番上に天ぷら、下二段がお蕎麦のようである。向こうの少女隊が、足が疲れたのかとうとうひとりひとり、おっさんのように豪快に胡座(あぐら)をかきはじめた。
「それそのまんまじゃなくって、混ぜるの」
若い女の子たちがそば湯のやり方に知恵を出し合っている様が、なんとも可愛らしかった。“混ぜる”という表現が、理科の実験じゃないんだから …… と思ったが、しかしその後感心したことは、
「うちがまとめて払うから、みんなお金ちょうだい」
とその中の一人がやったことである。
いいおっさんチームの、帳場の真ん前で連なって俺のこれ幾ら?、俺はこれ ! とやる姿を、いつもうんざりと見ている気がする。自分のことを“うち”という花魁言葉を使ったことは、もはや問題ではない。
同時に、こんなティーンエイジャーの女の子にさえ、こういうことを見せつけられると即座にリスペクトしてしまう自分の底なしの柔軟性に、自分自身でリスペクトした。
人からは一切評価されないので、もはや自分で自分を評価するしかないと悟ったのだ
------------------------------------------------------------------------------------
<H24.5.23 浅草>
例によって田原町で地下鉄を下車し、地上に這いだしてみれば、昨日の冷えた雨空が嘘のように蒼天。暖かい、もとゐ、もはや暑い……
「雷門 満留賀」
満留賀という屋号に対して私が勝手に抱いている“先入観”だが、それは気取りなく大衆的で安価、連動して、蕎麦“それなり”、そんなところである。
ここ浅草の満留賀は、街場のそれに対し、随分と高級感溢れる店構えである。ありがちな、戸口付近をジャングルの様にデコレイトするお薦め料理の短冊等は、それを異様なほど潔く排除しており、逆に、非常にワイドなショーケースが、その店の“精神の構え”を誇らしく象徴していた
“大もり” @800也。因みに、普通で@600。
蕎麦が供されてきたところで、丁度奥の座敷から、揃ってツートンカラーのユニフォーム身に付けた若き集団が一斉に立ち上がったと思いきや、修学旅行か、地方の中学生の集団であった。彼らの“聖地”ファーストフードの店頭でたむろう姿は何処へ。そしてこの店のお品書きをみると、素の蕎麦以外は少々値が張るが、平気なのか……
さらに私の直ぐ右手、明らかに二十代前半と思しき若いお母さんが、ビール片手に、まだ小学校前の子供につめたい蕎麦の喰い方を教示している。
時刻は午後一時十五分を過ぎたところ……
――客層広えな、この店……
と思っていたところへ追い打ちを掛けるように、私の左手の卓に、今度はフランス人カップルが陣取った。
「メニュウがジャパニーズオンリーで、イングリッシュはないんですが、オウケイ?」
給仕の女性は、その外国人カップルをまんまとおもてへ連れだし、あの限りなくロングなショーケースを活用して、うまくやったようだ。摩訶不思議な言語を発したうら若き給仕の女の子は、共通言語を持ちながらも、優柔不断な日本人客の迷いながらのそれなどよりも遙かに効率的な“受注”を、今まさに鮮やかに完了して見せたのである
そのフレンチカップルは、まず瓶ビアで乾杯した。
程無く、天麩羅盛り合わせが絶妙のタイミングで供され、そこそこに気分をクレッシェンドさせているようだ。続いて彼に冷たい蕎麦、彼女に温かい蕎麦がきた。
――下町に生まれ育って四十余年、日本蕎麦を喰い続けて未だ“もり”を大盛りで、などと単純注文しか出来ない私への、これは何か、天からのメッセージなのか……
フランス人男性が“もり”に手をつけた。
まさか……
最初の一口目は、汁につけずに蕎麦だけで……
右手では若きお母さんが、そこでもビールを片手に、今度は子供にそば湯のやり方を教えていた。
――この若くチャーミングなお母さんは、ビアグラスを手放したら“負け”だと思っているのか……
子「スープみたいだね♪」
お母さん「そうだよ~ スープになるんだよ♪」
この子や、先の中学生グループが、すくすくとそのまんま成長していって、そして将来日本を背負って起ってくれることを、私は願わずにはいられなかった。日本蕎麦の喰い方も知らずに、どう考えても日本が救えるわけはないだろう。それだけは間違いなく言い切れる
口コミが参考になったらフォローしよう
Jackie_m
利用規約に違反している口コミは、右のリンクから報告することができます。問題のある口コミを連絡する
Jackie_mさんの他のお店の口コミ
店舗情報の編集
閉じる
「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 |
雷門 満留賀(かみなりもん まるか)
|
---|---|
ジャンル | そば、天丼 |
お問い合わせ |
03-3842-2020 |
予約可否 |
予約不可 |
住所 | |
交通手段 |
東京メトロ・都営地下鉄淺草駅 浅草駅(東武・都営・メトロ)から68m |
営業時間 |
営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
予算(口コミ集計) |
¥1,000~¥1,999
¥1,000~¥1,999
|
支払い方法 |
カード不可 電子マネー可 |
席数 |
70席 |
---|---|
個室 |
無 |
禁煙・喫煙 | 全席禁煙 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | 落ち着いた空間、座敷あり |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
お子様連れ |
ペイペイ利用可 |
ホームページ | |
オープン日 |
1895年 |
関連店舗情報 | 満留賀の店舗一覧を見る |
初投稿者 | |
最近の編集者 |
|
食べログの会員になるとレストラン情報を編集する事ができます!この機会に是非ご登録ください!
この店舗の関係者の方へ
食べログ店舗会員(無料)になると、自分のお店の情報を編集することができます。
店舗会員(無料)になって、お客様に直接メッセージを伝えてみませんか? 詳しくはこちら
店舗会員になると、無駄な広告費をかけずに効果的なPRができます。詳しくはこちら
紙ではできない予約管理を。いますぐ無料ではじめよう。詳しくはこちら
既に会員登録が完了している方はこちらからログインできます。ログインはこちらから
5年、いや、7、8年は吊るしっ放しだったに違いないダブルのスーツを、それはビジネスにダブルというのも如何なものかと思って放っていたわけだが、勿体ないので最後に着潰してしまおうとクリーニングのビニルを破ってみれば、意外にも、格子柄(しかも格子柄かよ !/笑)の生地もまだ活き活きとしているように思え、これはもしかして、来期も十分に着られるのではなかろうかとの助平心がにわかに湧いて来る ……
<R5.11.24>
快晴、且つ人出がもう尋常じゃなくsparkする浅草。
たしかにコロナ過明けからの国内外旅行者の盛り上がりは、けっこうな角度での右肩上がりを見せつけていたと思うが、そこからさらに加速するとはにわかにビビる !
時刻は11時をちょっと過ぎたあたりで、ここから即早飯しをやりたいとなると、それを受け入れてくれるお店は限られる。
私の好きな雷門通りのおそば屋はまだ営っていない。地下のスパゲッティ屋さんはもう営っているだろうが、スパゲッティであればあくまでも現時点においては、上野広小路でやったほうが良いかなと結論付けている。
そんな中、時世に決して左右されることなき、この町においてこの表現は、数多ある中のひとつとなろうが“孤高の老舗”に、今日も平然と暖簾が下がっており、久しぶりにそれを割って入ることにした
「満留賀」
地方では知らないが、都内で立ち食いチェーンを除いてもっとも多く見かけるおそば屋の屋号こそ、この「満留賀」さんではなかろうか。
その横つながりがどれたけのものかは知らないが、“生そば”の幟とともに各店、製品(おそば)仕様が奇妙なほどに共通するという謎は、私の怠慢に依って、まだ解明に至ってはおらず ……
その中でも私が明らかに、ここ浅草の「満留賀」さんが最高峰のひとつであろうと考えているのは、立地、店構え的にもそうなのだが、変な言い方になるが、前述の満留賀標準仕様のおそばよりも二段階ほど質(たち)の良いおそばを出しながらもしかし ! その根底に流れる“満留賀ism”がいみじくもキープされていると思うから !
※ 「満留賀」さんを名乗るお店でも、まったく表情を変えた凄みのある手打ちを出す店が稀にあるが、そういったお店に対し、という意
“大ざる” @950也。
内、おそば大盛り分は200円。
手千切りの海苔に納得しつつ、一方ちょっと不本意なとばっ口の厚い猪口につゆを注ぐ。そして様式美に完全の則ったおそばと対峙するときにいつも襲われる軽い緊張感の中で箸を割り、その海苔の隙間を突き、一気に切っ先を挿れていく !
藪系と比較してしまえば、ずいぶんとマイルドと言えるつゆは、猪口にそばを思う存分に浸すという蕎麦食いにとってのtaboo、即ち禁断を侵す快感をもたらしてくれるが、それこそが、何をとっても間違いの許されない藪に対する、満留賀さんの優しさと言えよう
必要最低限のそれ以下ほどにささやかに添えられる山葵を使い切って、自動的にとんがらしへと移行させられるのは、これは果たしてこちらの誘導に引っ掛かってしまったということなのだろうか。
ならば鞄から“津軽のとんがらし”をとり出して、せめてもの抵抗を試みる。無論、「津軽恋女」のイントロダクションを心の中で奏でつつ ……
「さっきまであったかいの食べたいと思ってたんだけど ……」
そもそも11時ちょい過ぎの入店から既に先客がいたということにも驚き、というかそれが浅草という場所の老舗の力量なのであろうが、その後も続々と客足が続き、向こうの座敷席に5人家族が陣取ったと思ったら、女の子が、こんな小春日和のおだやかな日をうけてだろうか、方針転換してつめたいそばを模索し始めたよう。
そんな少女の、見様によってはコケティッシュといえなくもないあぐら姿が、家族というものを失った、または家族というものを拒絶した私にとっては、どこか幻想的なものに映ってきてしまっていけない ……
「天どんひとつ、天ざる一枚、とろろそば一枚、~~一枚、~~二枚。ぜんぶで六つでよろしいでしようか ?」
五人家族に六つご飯。
育ち盛りのお兄ちゃんが混じっていればそれも当然のこと。
ふと、おそば屋にいったら、つめたいおそばとあったかいおそばと、必ず二つ注文していた自分の中学生時代が重なってしまい、何故だかどうしようもないみじめさが湧いてくるが、それも徳利に残ったつゆの最後の一滴まで澄んだ湯で割っていったなら、なんとなく収まって、落ち着いた気持ちに速やかに復元してくるから不思議 ……
―― こんな小春日和のおだやかな日は、今夜このダブルのスーツで、あなたの優しさに沁みにいきます ♪