2回
2016/12 訪問
二日連続で通う】南方人吃米北方人吃麺と言うが…
表題の意味は、中国でも南方では米作が盛んなので専ら米を食い、北部は小麦が生産されるため小麦を粉にしたあとの加工品(=麺)を口にする、とでもなるか。
実際、廿年ほど前、天津、北京を経廻ると、朝から晩まで万頭や包子、おうどんみたいにゾロっとした麺類ばかりが出てくる一方、廣州、東莞、佛山あたりをブラついていると、宴席の最後に必ず「白いおまんまは如何? 」と聞かれ、これまで大皿からちょびちょび摘みながら酒の肴にしていたものを、今度は「めしのおかず」に転用して茶碗の中身と共にわしわしと食らうのがかならず食事との「セット」になっていたのが印象的だった。
(ちなみに今は農業技術の発達で、東北地方でも日本式短粒米がナミナミ採れるようになったので、いちがいにこの風俗が残っている、とも言い難い)
言い換えればこれが大陸における飲食民俗ないし文化という事になるのであろうが、さてでは、それぞれの土地で大量に消費されるものほど、洗練を受け、趣味性を帯びてくるのか、というとそうでもないところが面白い。
一般に北部の麺類、なかんずく日本語でいうところの「ひもかわ」的にロールなり延し棒なり指先などで縦方向に平たく引き伸ばされたものは、一体に白く、本邦のうどん、ひやむぎ、そうめんに似た印象が強い。
これをもって糖質摂取につとめる、腹を満たすという場合には結構なのであるが、趣味的にお八つっぽい、つまり日本のラーメンのような麺を期待すると肩透かしを食らうようなところがある。
一方、南部の麺となると、小麦由来の幼麺に粗麺、米主体の米粉、瀬麺、米線に河粉…と素材、かん水の入る、入らない、太さ、とさまざまなバリエイションがあり、これがまた、主に食感や舌や喉への当たり、といった趣味性を追求する故に分類、複雑化しているように見えるのが面白い。
分類上南部に属するマカオに雲吞麺と蝦子撈麺で名高い店がある、という。
調べてみると朝0830時から開店2400時までの通し営業だそうで、今回の仕事の事情で「遅い朝飯ないし朝昼兼用めし」を摂る必要に迫られている我が状況には極めて都合がよい。
一日目】
0900時に訪問、界隈の人気店なので、すでに空席待ちの整理券を配り始めている。
ひとりですが~と人差し指を上げ、券をもらって店先の椅子に腰かけまぬけ面ぶらさげて待っていると、(普通話と粤語の両方で)番号が読み上げられ、どうにか聞き取り、案内された席につく。
品書きを見る。
初手はご案内の名物二種のいずれかを取るつもりだったが、つい擔擔醤湯麺なる文字を見つけ出してしまい #タンタンメンのタンは担であって坦ではなく、旧字では擔である #冷徹な事実 と #言いたいだけ でこれを頼んでしまう。
運ばれてきたのは別掲シャシンの通り。
どこがタンタンメンだよ? と言いたくなるルックスであるが、肉醤にはしっかりと甘辛の下味が含まされている一方、粗麺と呼ばれるイタリーのタリアテッレに似た平麺はパキパキとつるりの真ん中くらいの歯ごたえと舌触りが面白く、これを泳がせているどんぶりのスープは、蝦米(ほしえび)の出汁由来の、力強くもクドくない、清らかさの奥に隠されたゲテ味みたいなのが乗っているのが面白く、正直、昨今東京で出てくる、刺激ばかりで目がちかちかするような自称「本格正宗」なやつよりも、特に中高年世代にはこっちのほうをお好みになる方が多いんじゃないかな、と思わせる出来栄え。
麺よし、スープよしで、再訪を誓う。
二日目】
仕事明け、香港への移動の前、開店と同時に飛び込みまずは青島啤酒。
小壜だけが出てきてグラスは出てこないが #いんだよ細けえ事は! と、レイチェル・ウォードの美貌以外、見るところのなかったカリブの熱い夜スタイルで壜の首を掴み、ラッパ飲みを執り行う。
ビールラッパ飲みには馳名雲呑蝦子撈麺に決めている。
決めているのに理由はない、あったとしても忘れてしまった。
もしあるとすれば、本当は雲吞湯麺と蝦子撈麺の両方が試したいが、一人旅だから分けっこも出来ず、両方取ってしまうとそれでなくても疲弊気味な、オトウサンの胃には良くなさそうだし、少しずつ食って、あとは残してしまうというのは、ショーワの吝嗇が許さないからいっそ「いいとこどり」のものを取って、雲吞はビールのつまみ、麺は麺で後で食えば、一挙両得、一粒で二度おいしい、夫婦和合、くんずほぐれつ、と何を言っているのかわからなくなるから黙っている。
そう思いながら、箸で取り上げた雲吞を口に放り込むと、塩と片栗粉(と、いう名のコーンスターチ)でもみ洗いされた蝦のぶつ切りの具は、口腔でぷりぷりぷりぷりとはじけ飛んで愉快で、幼麺をざっと茹で、水切りしたところに蝦子を #BCMKR! した麺は、歯ごたえと弾力に富み、ナイルレストランの通称無理強いランチよろしく #ジェンメン的にかき混ぜて~♪ 口に放り込めば、原始の本能を揺さぶる食の根源みたいな愉悦で脳が煮え、ああ、ここの店、ライセンス買って、日本でやったらウケるかもなあ、と、取らぬ狸のなんとやら、に心動かされない、事もない。
2016/12/31 更新
実は麵粥店や茶餐廳で、一番の目的は油菜なんだよな
…油菜(やうちょい:嵌頓もとい広東語)は、たっぷりの湯に油を数滴浮かべ、ここに生菜(さんちょい:レタス)、芥蘭(がいらーん)、菜心(ちょいさむ)などを泳がせてさっと茹で上げ、お醤油や腐乳、蠔油(オイスタソース)なんかの「つけだれ」で食わせる、一種の副菜。
油の効果で色合いは抜けないし、茹でるといっても西洋料理みたいにクタクタにする訳じゃないから歯応えは残っていて、温かい。
なによりナマじゃありませんから、衛生状態のナニなとこ… #よけいなことをかいてはいけません
うまいうまいと飲茶だ麵だとやっていると、どうしても糖質と油脂過多になるから、そんな時にはこれら「菜っ葉の煮抜き」みたいな奴が有難く感じられる。
澳門滞在五日目。
実演調理会場で朝から晩まで立ちっぱなし、昼休憩なしで鍋を振り、そろそろアゴも出掛かってきた頃合いにつき、葉のものでリフレッシュしましょうか、と、0830時より店を開いているコチラへ。
0858時。
ぞーさんぞーさん(早晨:おはよございます)と入っていくと、二階に上がれと言われ、階段をとととと昇り、空いている二人がけの食卓の席に腰を下ろし、
「唔該、油菜、生菜蠔油! 」
と、注文取りの小姐、まさか菜っ葉だけじゃないよね、という顔をするから、こちらの名物という「事になってる」雲呑蝦子撈麺も併せてとる。
程なく先に撈麺が、茶碗一杯のスープとともにやってくる。
茹で上げた細麺を皿に盛り、そこに雲呑と蝦子を加えた「だけ」のそれは、素材の味を楽しんで頂戴よ、という極めて実直かつストレイトな思いが伝わってくるンであるが、茹でてそのまま、であるから、麺同士がくっついて、そのまま箸を突っ込むと、ひとかたまりになって持ち上がる。
が、そこは「勝手知ったる」香港(おっと澳門であった)の麵屋、である。
慌てず騒がず、麵の上から碗のスープをレンゲでチョイと垂らしてやる。と、程よく解れて巧くすする事が可能だ #知ってる事を全部いう
いや、この輪ゴムみたいな幼麵の歯応えと舌触りがたまらないね、しかし相変わらず蝦子が #BCMKR! と、ばかりに過剰にサーヴィスしてあって嬉しいね、ン? スープの味精含有量が以前より増えたか? ま、 #いんだよ細けえ事は!
…と、口の中でぶつぶつ言っているうちに、「茹でレタス」がやってくる。
レタスは熱を通し、半煮えくらいになると甘味を増し、歯応えがよく、ここにほんのちょこっと触れる程度に蠔油をつけてやると「身体にいいもの食ってるな」という「気になり」いい調子。
麺を、レタスを旨し旨しとやっていると、お向かいに座った、普通話で話す、大陸から来たらしい学生上がりくらいの若者男女四人組が、運ばれてきた撈麺を前に大騒ぎ。
コチラを振り返り振り返りして、食べ方を理解したのか、ようやくスープを垂らして解し、頷きながら食べ始め、又、大騒ぎである。
多分、大陸の「奥の方」から来て、粤菜の早餐に不慣れだったのであろう。
卒業旅行(と、勝手に独断)の「冒険」としては、良い経験
…かもしれない。
お隣のウール・ショートコートにベレー帽な、文系メガネ女子っぽいお嬢さん二人は、話す言葉を聞いているとハングル。
OLさん(死語」のクリスマス休暇旅行の最中であろうか。
それにしても若者研究所長の原田曜平さんが言っていたが、InstagramとTikTok効果で、ワカモノの装束、ファッションは見事に均一化され、話す言葉を聞かないと、どこから来た人なのかわかんなくていけねーな、などと、実にをぢさんっぽい感慨を漏らしつつ、皿の中身を空にして、伝票を掴み、階下の帳場で勘定。
MOP120。
1,600円チョイで、さすが観光地、いい値段とるなぁ、と、思うが、考えてみれば欧州でも北米でも、朝から椅子に座る店で朝飯を取れば、これくらいにはなるわけで、こちらがゴルディロックス? なデフレに慣れてしまったのか、はたまた毎年経済成長を続ける他国に対し、「失われた20年」な本邦が相対的にビンボーになってしまったのか、と、しばし考え込まない、事もない。