『シリーズ「帰ってきた #だからワタシは嫌われる」(その10)病災禍で失われたもの』ムササビヒンソーさんの日記

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ムササビヒンソー (60代前半・男性) 認証済

日記詳細

「今夜は用事があるから、外で食べてきてください」



毎晩の献立を考えるのに、やや倦んでしまった様子の家人が朝、声をかけてくる。

こちらもウチでばかり飲んでいては気がふさぐ「ような気が」するし、連日連夜、酔ってホエホエになっているさまを、息子にさらすというのも教育的にどーよ、と思っていたところ。

丁度いいや、と夕方、会社から一度戻り、クルマを車庫におさめ、社の作業着を麻開襟の白シャツと綿のトラウザーズに着替え、ふたたび外に歩き出す。



都(みやこ)では戒厳令が敷かれ、禁酒法の嵐が吹き荒れているそうである。

が、そもそも賑わいに欠け、稠密な環境になりにくい「裏日本」セントラル・エチゴ・ディストリクトにおいてはその限りでは、ない。

家から

「歩くとちょっとあるが車を使うほどではない」

道のりにある、界隈隋一にして唯一の「盛り場」は、特に規制を受けることもなく店頭に明かりを灯している。

ただし、社会通念上の「こういうご時勢」であり、更には、戦前戦中に殷賑を極めた「同調という名の形而上の隣組」の気風を残す、トラディッショナルでクラシックな土地柄である。

地元企業同士は会食、接待を抑制するよう「なんとなく」決まり、個人の集まりというモノも

「ヒトの目もありますし......」

という空気の醸成©山本七平が発現され、料飲街でありながら、飲んだり食べたりしているのは、ほゞひとり客ばかり、しかも、「周りの目を避けてこそっと」というありさま。

この日も、ふだん馴染みの料理屋、割烹に足を向けたところ、カウンタにはじぶんひとり。

聞けば、座敷での宴会が極端に減ったので、夕方五時に店を開けても七時にはカマド(実際はオーブンだけど)の火を落としてしまう夜も少なくない、という。

板前さんは注文したものを作り終えてしまえば手持無沙汰。

女将やお運びの姐さまがたも、わたくしが酒のお代わりでも注文しない限り、お茶を挽いている、という状態になる。

と、みなさん、我先にとオシボリを替え、カウンタの濡れたところを布巾でサッと拭き、空いた皿をさげ、酌をしてくれ、水のお代わりを汲んでくれ、頼んでもいないものを(無料ですから)「食べてください」と、チマチマとした小皿を出しては「在庫消化」につとめ、その間、

「美味しいですか? 」
「季節の変わり目ですね」
「奥さん元気ですか」
「お仕事はどうですか」
「出張には出てますか」

うんぬん、とにかくイロイロと「話しかけて」来てくれる。

「友人や知人、御取引先とのオツキアイ」を自粛、ひとり杯を重ねる孤独な中高年の「閑散無聊」を慰めるべく、精いっぱいサーヴィスに努める、と、大奮闘なのであるが、これが困る。


なにしろ、もともと「どっちかというと」社交の精神に欠ける人情である。

地元での外食でこそ「接待」「懇親会」「各種直会」「打ち合わせという名のマウント取りの会食」という「主旨」に合わせ、相対するひとと快活に会話を交わし、話題を振り、相手の話に傾注している「ような顔を」し、ヨイショにつとめ相手を悦ばせ、お運びさんたちにも軽口を叩き、続く「二次会」の倶楽部活動ではマイクを握り卡拉OKに興じ、64ビートでタンバリンを振り、その間お客さんの「水割り」をつくり、「スナック液状化現象」トークをブチかます

......ンであるが、わたくしじしんの個人的晩酌志向は

「ひとり黙り」

「しずかな、ある程度放っておいてくれるような環境で」

「徳利や猪口、グラスの持ち重りを確かめたり、手首で調子をとりながら」

「つまらなそうな顔して酒を一口含んでは、箸先で小鉢の、きのこ和えかなにかを箸で摘まんで」

「アタマのなかでちっちゃな歯車がチキチキ回っているような感覚を覚えつつ」

「タメイキをつく」

......なんて、傍から見ていれば、何が面白いんだろう、という情景の「器」に自分を填めこんでいる、いってみれば「型が決まる」という行為に、解放感と、無上のヨロコビを覚えてしまうほう、なンである。

営業とお付き合いが仕事、な、ポジッションにいるから、「業務上」は上記のようにハッスル(死語 するのであるが、ひとりになるとその反動がくる。

だから他人に関わる「必要のない」とき、しかも顔の知られていない旅先であれば尚更、ひとり「蕎麦屋」「お鮨屋」「点心の得意なチューカ屋」「焼き鳥屋」「おでん酒」「カウンタ割烹」「小料理屋」「うなぎ屋」「立ち呑み」「バー」などに出入りするようになり、自然に、というより「結果的に」身についてしまった嗜好、否、性癖(くせ)だから、いまさらどうにもならない。

ところが普段、「お座敷」での「ブッとばしてる」わたくしを見慣れている「地元」の店の方々は、

「息をするようにオシャベリが止まらない、止まっているときはダジャレを言っている」

こちらの姿「しか」知らないから、悪気なく「いつものとおり」接遇してくださる。

しかも他にお客がいない(し、本人たちもヒマだ)から、その「サーヴィス」がいつもより一層、過激に過剰になり、一斉にこちらに「襲い掛かって」くる。

こりゃたまらぬ。

この度の病災禍で、失ったり、制限されたりしたことがたくさんあるが、

「ひと知れず、黙っていっぱいやる」

という機会と場所が奪われてしまったのが...... #だからワタシは嫌われる
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