昨夜は用事で「家のもの」もわたくしも帰宅が遅く、夕食の用意が面倒なので持ち帰りピザにしましょうかということになりピザハット。
ペパロニが乗っかったごくひねりのない奴にしましたが、アメリカ風のピザはやはりこういうのがいい。
食べながらふと、ボブ・グリーンの旧い随筆に
「世界一」という触れ込みのピザ屋にわざわざ行ったら「本格」を謳うだけに(アメリカ原産の)ペパロニ・トッピングがメニューになく、大いに落胆した
という如何にもアメちゃんミドルクラスが書きそうな文章があり、大いに楽しんだ事を思い出す。
ピザの発祥にはさまざまな説があるらしいですが、イタリア系移民の貧しい子が、その小さなPiece of a Pieを頂戴、と、タドタドしい英語で言ったのがナマってPizza pieになった、というのが信憑性はともかく、「やるせなさ」という点で一番好き。
つまりアメリカのイタリア人街発祥説です。oさまには叱られそうですけどね、はは。
その一片のパイにはペパロニが乗ってたのかしら? なんて、ね。
わたくしじしんのピザ初体験を振り返っても、アメちゃん肝煎りのニコラスピザハウス、しかも西武百貨店池袋本店のレストラン街にあった出店のもの、なんですから、米国風味のピザが強烈にスリコまれてます。
今更「真のナポリピザ」なんて言われても、ウロタえてしまうわけです。
もひとつ申し上げると、イタリーのピザ屋は夜しかやってないそうですが、コチラは「夜の部」の糖質は専ら液体でとるもの、と決めつけている。なので、過去五度ほど訪問した現地で「本場のピザ」をほぼ口にしていない(ベネチアの観光街で「昼に一度」あるくらい)という事実も、イタリー≠ピザと感じている遠因、なんでしょう。
ところで、ピザというと、円周のキワ、コルニチォーネを食うか食わないか、の話になりがちだけど、ぼかぁ「家では食べて外では食わない」事が多いかな?
家ではMサイズ8枚切りのヤツを取ると、息子が5〜6片、ガブガブ食っちゃうから、コチラの食べる量は大したことにならないけど、外のお店でだとひとり一枚、なんて言われますしね。
社会通念上の「粉モノ」で腹いっぱい、というのはチョッと、やりきれない。
あ、ちなみに昨今、痩身美容に凝っている「家のもの」は、糖質と脂質のカタマリであるピザには、ハナから手を出しません。
尚、コルニチォーネ自体が美味いかそうでないかは、正直「あんまり考えてない」 そもそもピザってそんなモンでしょ? くらいの感覚。
煮魚のアタマは食うけど、さんま塩焼きのアタマは食わない、というのとおんなじ様な人情…というのはちょい違うか、まーいーや。
そもそもコルニチォーネって、イタリー語での意味は「額縁の外側」なんだそうですね。
これを食パンの様に「耳」と言うから、食うか食わないか、みたいな論争になるんじゃないかしら?
あ、そーいえば、バブルの申し子というか「残滓」、アッパー、ロウワーで名を馳せたミズ・ミナコ・サイトウは、洋食の皿の横に出てくるパンも、中の白い部分だけくり抜いて食べ、外側の熱量が高い「皮」の部分は残す、と言ってたなあ。
しかしそれって痔瘻手術の後の瘻管みた #よけいなことをかいてはいけません
これ、まさにクリヌキビンボー! 俺のシートン動物記...って、ああ、 #だからワタシは嫌われる