「ラーメン」で検索しました。
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中華蕎麦時雨は名店の誉れ高い多賀野で修行をした店主が開いたお店だ。私は醤油ラーメンを注文した。 メンマも鶏肉を使ったチャーシューも分厚く肉厚のチャーシューも美味しかった。スープはすっきりしているが、醤油の味はしっかりと感じられる。 あのディープな伊勢佐木町・野毛の方達が意外にもさっぱりとしたスープのラーメンを好むのも何だか面白かった。ラーメンの具材も麺もスープも全てレベルが高く非の打ち所がないのだが、何だか優等生過ぎて、心を鷲掴みにされるような感じはしなかった。ラーメンは毎日でも食べられるような癖がなく優しいものよりも、たとえ味が濃くなくても癖になるガツンとした魅惑的な味わいのものの方が個人的には好みだしそれがラーメンだと思う。
2024/01訪問
1回
自家製麺まさきは、まぜそばを中心としたラーメン店である。 この店は桜台にあったまぜそばで有名な破顔の流れを汲む店と聞いた。 破顔は惜しまれつつも最近閉店し、私がよく昔通った破顔のまぜそばが食べられた江古田おおびるも店を閉じたという。そういうノスタルジーに満ちた破顔のまぜそばが食べたかった。 注文したまぜそばは、勿論生ニンニクをトッピングしてもらった。 もう明日は人と話はできまい。 相変わらず物凄く強烈なビジュアルだ。 この時後悔の念が湧き、正直なところ食べられへんと思った。 麺なんか太くて凄いのだ。 これをかき混ぜ喰らう。 食べても食べてもなくならないのだが、根性で完食した。 今度は物凄くお腹が空いている時に来たいものである。
2024/01訪問
1回
1947年に荻窪で5人の共同経営者によりスタートした丸長は今や東京ラーメンやつけ麺のルーツとなる店になっている。 丸長から1951年に独立した中野大勝軒はその後店長山岸氏が独立し1956年に池袋大勝軒ができる。 一方丸長は荻窪以外に目白にでき、丸長創始者青木勝治氏のレシピを元に継続されてきたが、店主が急死され、店は終わりかと囁かれていたが、新しい店主が不死鳥のように目白丸長を再開したのである。 つけそばやさいチャーシューの小鉢並盛りをお願いした。 丸長の創業時の共同経営者はみな長野県出身と聞いた。 青木氏は元蕎麦店にいたこともあり、豚鶏スープに鯖節・鰹節等の出汁を加えたようだ。 そのまかないだったつけそばがいつの間にか店の代表メニューとなる。 やさいチャーシューの小鉢の丼には山のように野菜と細かくなったチャーシューが入っていて食べても食べてもなくならない。 スープそのものには独特の甘みと酢の酸味が感じられる。 麺はもちもちしていて美味しい。 現在今ある様々なラーメンを見渡して、この味が1番の好みかと問われれば素直に頷くことはできないが、意味のある歴史的な味わいであることはまちがいない。 また、歴史に胡座をかくことなく、店の方の対応が素晴らしかったのも特筆すべきことだと思う。
2023/10訪問
1回
少し前まで箱根湯本にスコットという個性的な洋食店があった。 この店の大きな有頭海老を使ったエビフライや大きな蟹味噌入りカニクリームコロッケには度肝を抜かれたものである。 確か店主がご高齢だったので店を閉めると聞いた時は、残念だが仕方ないと思っていた。 その矢先である。 何と業種をラーメン店に変えてスコットがリニューアルオープンしたようだ。 それも昼は醤油ラーメン一本槍だ。スープは醤油とんこつだろうか。 元洋食店シェフが作ったラーメンとは思えない程のこだわりようだ。 チャーシューメンにしたのだが、軟らかいチャーシューが沢山入っていた。 真ん中に乗っている小田原はんぺんと小田原梅干しで作った日の丸が愛らしい。夜は洋食店の名残りでステーキやクリームコロッケを出しているらしい。 今度夜に再訪してみよう。
2023/11訪問
1回
国分寺麺屋がらーじは、コロナ禍前後には休んでいたり,営業しているかどうかおぼつかなく5年程立ち寄っていなかった。 気がついたら一度閉めた麺屋がらーじはガラージ製麺所として復活していたのだった。 店の前を通ったら営業していたので,久しぶりに店内に入ってみた。 いつも食べていた醤油ラーメン。 キリッとしていて美味しかった。 味は変わっていなかったのだ。 また来よう。