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当時、瀬戸市陶本町に住んでいたKUMAOと相方。 相方は酒が飲めなかったのでだな、焼鳥屋さんなんて来る機会も無くて。 なのに。 その前にだね。 インフルエンザを罹患しフラフラになったKUMAOは、相方に凄く助けてもらってだの。 もうね。 ある日の夕刻に仕事から帰ってきて、厚着してるのに凄く寒くて。 布団や毛布を掛けて暖めてくれたけど、ブルブル震えるKUMAO。 体温計で計ると38.7℃!とな。 1月の寒い中を、マンションの廊下に出て寒風に吹かれ、しかしソレが心地良くて。 ※ KUMAO壊れてただよ 翌朝に相方に支えられながらクリニックに行って、やっぱりインフルエンザで。 タミフルを処方され、飲んだらビックリするぐらい平気で元気になって。 そんな「ひと騒動」があってだ。 ※ アレは何であなたにうつらなかったのかね よく話してた謎だよね アホにしかうつらんインフルやったのか きっとそうに違いあるまい でだな。 ソレはKUMAOの給料日。 何時もはヤマナカ(スーパー)で安く自炊して、やり繰りしてくれていた相方を思いだな。 ※ 1尾98円なアジの開きとか鯖半身とか、1パック98円の焼売とか 安い鶏の手羽元と野菜を煮て美味しいの作ってくれたり 良く出来た やり繰り上手な子だったよ 本当にな まあKUMAOの方が実は料理が上手いのだけれど ごめん負けず嫌いだから きっと「しばき回される」に違いあるまい そんな相方を。 KUMAOは相方を「労う」と偽りもって誘ってコチラのお店へ。 カウンター席に2人して座って。 まあね、当然ながらKUMAOは生中を所望し、立て続けに飲みまくりで。 相方は烏龍茶でもって隣でニコニコし。 慣れない相方は頼み方(オーダー)も分からないから、KUMAOが色々と頼んで。 一緒に食べただよ、鶏さんを。 その。 そのなんと。 今から思えば幸せだった時間かね。 上手く言えないけれど。 偽りなく、正直に本心から「幸せだった」と思えるだよ。 串もの食べるのも慣れて無いから、ぎこちなかったりもする相方。 そんな姿を横に見ながら、美味しいお酒を飲んで。 そんな姿ですら、今からすれば微笑ましく愛おしいのでね。 本気で思い出したら、号泣してしまうKUMAOなのだよ。 小さい(失礼)お店だけれど、KUMAOには凄く思い出深いのですよ。 モクモクした煙も、冷えたグラスの手触りも、温もりのある店内の灯りも。 帰り道の冷えた風も、行き交うクルマのヘッドライトも、川面に映るキラキラも。 あまり見えない星空も、赤い名鉄電車も、静かで寂しげな街並みも。 おうちに帰ってから服にファブリーズした事も。 この店の事は、今でも凄く覚えているのだよ。 凄くね。 お店はね、全国に数多あるけれども。 思いが刻まれたお店ってのがあってだな。 KUMAOは、そういったお店を大切にしたいなあ。 味や価格や接客や店内環境も重要だけれども。(食べログの主眼はソレだしね) ソレは分かっているけれどもね。 他の方々が読んで、有用なる情報を伝えるのが主眼なんだし。 けれど。 KUMAOは「相方とのを含めた歩んできた備忘録」としておるのでね。 或いは批判もあるかもだけれど、ご容赦くださいなのだよ。 思い出は重要なのだよ。 思い出と、ソレに対する思いというか、現在の自らの対峙の仕方。 そんな事を考えさせられるお店なのでだね。 書いてみただよ。
1回
それは今は亡き相方と付き合い始めた頃。 日々の仕事に忙殺されていたKUMAOはだな。 ある日、職場の大先輩な方にだな。 ※ ん~ KUMAOはクマだから 仮にアライグマさんとします 何だか分からんけれど ちょっと、飲み会があるので参加して欲しいと誘われだな。 Lty932(エルティクサツ)という、所謂「再開発ビル」の地下のコチラへ。 低層階:商業、中層階:駐車場、上層階:地権者向けも含めたマンションなビルなんだけれど。 大昔はダイエー系なスーパーなどがテナントで入っていたのに。 「ヒカリ屋」ってスーパーね。 山科や瀬田や草津の人は懐かしいに違いあるまい。 しかし今はもう随分と「くたびれ加減」な大きなビルで。 ※ 現在は阪急なスーパーや 上階にはオフィスも入り アステラス製薬とか、フルキャストとか、ニチイ学館とか、マイナビとか パソナとか、ピープルスタッフとか、ツクイとか、TBCとか、スタッフサービスとか どうにかこうにか持ち堪えてる感じ そんな地下には当時は「ばんから横丁」なる飲食店街があってだのう。 ソコは昭和30年代の街並みを再現した空間でもって。 現在はEKI-CHIKA DININGという名前みたいだけれどもね。 居酒屋、焼き鳥店、カレー店、占いの店、ネットカフェ、博多ラーメン店、近江牛バルなどなど。 でだ、この中では大店なコチラの居酒屋の座敷で宴は始まって。 アライグマさん以外は、みんな知らない人ばかり。 しかもみんな年上の方々でだの。 もしかして・・・アライグマさんはある意味「当て馬」としてKUMAOを使ったか。 侮りがたし、アライグマさん。 さては只者ではあるまい。 いかん・・・間違って来てしまっただよ、何も楽しく無いし酔えんじゃないか。 「早く終わらないかな」とか思いながら、陰でこっそり相方とメールしてたあの夜。 苦行じゃ、何たる苦行なのじゃ。 酒飲みの酒飲みによる酒飲みの自業自得な苦行。 酒飲みは「こ奴は酒飲みだ」と察する能力があるだよ、きっと。 で、KUMAOは重用されてしまうアホ丸出しであったのさ。 ああ。 何たる悲しき定め。 酔ってはいないのに、物凄く疲れて帰っただよ。 コチラのお店に非は無いのにね。 各所で居酒屋などを経営されている会社の店舗のようで。 コチラも2019年で創業20周年らしい。 リーズナブルで、居酒屋としては一通り定番は揃っているメニュー構成でね。 けれど・・・地下にある立地がね、不利な気がするだよ。 まあね、地下にあるからこそだな。 同じフロアには「昼飲み出来るお店」もあるだけどもね。 草津の酒飲みの巣窟なのかのう。 亡き相方に、飲んだくれてばかりいないで、もっと構えと怒られただよ。
1回
当時付き合っていた人と行っただよ。 もう随分と前だけれどもね。 けれど、ココはまだ「ちょっと背伸びすれば行けるお店」なので書いてみるだよ。 今は亡き相方と付き合う前の話だからだな。 相方にお空の上から「何がしかの棒」でもって「しばき回され詰問」かもだけれどものう。 四条通の喧騒から、その細い石畳な通りを進むと右側にお店入口があるだよ。 和装の女性が丁寧に案内してくれて、KUMAOたちはテーブル席へ。 暑い(8月)京都の夕、懐石料理をいただいて。 追加で茄子田楽もいただいてだな、大変喜んでもらえただよ。 飛び込みで、何のリサーチも無く入ったのに良かったや。 しかしなあ・・・KUMAOって鮎の塩焼き食べるのが下手で。 そもそも箸の持ち方が悪いのか、こんなんじゃお里が知れるわ。 お嫁に行けない、ああお婿か。 箸の使い方は自力で直しとるけれど。 コレについては恨むわ、ほったらかしだった親を。 ん~。 KUMAOは大阪育ちだしね、京都も神戸も身近だけれど。 やっぱり東京の人には、京都は特別なのだろうか。 単純に遠いしね、どうせ来るならば「より良きものを」となるわな。 アレが食べたい、ココへ行きたいと言われたけれど。 ※ 百万遍から東に行った京大のトコの進々堂とか、今宮神社のあぶり餅とか まあ頑張って調べて、どっちも行ったけれどもね しかし当時は、今ほど情報に溢れ簡単に触れ合える世の中では無かったからね。 そんなもの、どんなにか調べたりが大変だった事か。 今の若人たちはエエのう。 楽しむのじゃ、若い時間は長くは無いぞよ。 本当に短いのだから、ビックリするぐらいに。 なんだか分からんけれども、雰囲気の問題ね。