『長篠古戦場を歩く』いが餅さんの日記

盛り場徘徊記   

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 戦国時代の戦いというのは関ヶ原の戦いなどは資料も豊富であるが、それ以前の戦となると講談と史実の境界もあいまいで未だ謎の部分が多い。
 長篠の戦いなどもその一つで参加した兵力、戦闘の詳細なども謎の部分が多い。 一般的には織田信長3万、徳川家康8千の連合軍に対して武田勝頼が1万5千で強襲を仕掛けて大敗北を喫したと言われているが・・・
 謎を謎として放置できないのが歴オタの悲しき性である。
これは現地に出向いて自らの足で実地検証するしかない。
 というわけで毎年毎年豊橋に出向いて調査しておるのであります。
それにしても茶臼山って日本中にあるんだね。
 川中島の戦いで武田信玄が布陣したのが茶臼山。
 長篠の戦で織田信長が布陣したのも茶臼山。
 関ヶ原の戦いで徳川家康が布陣したのも茶臼山。
 大阪夏の陣で真田幸村が布陣したのも茶臼山。
なんで戦場の側にはいつも茶臼山があるのだ?
 歴オタの果てしない旅は続く・・・・
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