無料会員登録/ログイン
閉じる
気になるお店はこちらで保存ができます
空席確認・ネット予約
閉じる
リクエスト予約希望条件をお店に申し込み、お店からの確定の連絡をもって、予約が成立します。
1 予約の申し込み
ご希望の条件を当サイトよりご入力ください。
2 お店からのメール
ご予約が承れるか、お店からの返信メールが届きます。
3 お店へ来店
予約が確定した場合、そのままお店へお越しください。
電話なら予約できることがあります
閉じる
最新の情報は直接店舗へお問い合わせください。
洋食 マルタ : 西成区 カツライスの謎を追う その2
こちらの口コミはブログからの投稿です。?
口コミが参考になったらフォローしよう
すくわか
利用規約に違反している口コミは、右のリンクから報告することができます。問題のある口コミを連絡する
すくわかさんの他のお店の口コミ
ASIAN RESTAURANT NAMASTE(中山寺、逆瀬川、売布神社 / ダイニングバー、インド料理、ネパール料理)
ぶたのほし(尼崎(JR) / ラーメン)
韓国スンドゥブ専門店 ナムデムン(北新地、西梅田、大阪梅田(阪神) / 韓国料理)
丸万(加古川 / うどん、とんかつ)
春陽(JR淡路、淡路、下新庄 / 中華料理、ラーメン、餃子)
陽のまえ(北新地、大江橋、西梅田 / 居酒屋、食堂、バー)
「みんなで作るグルメサイト」という性質上、店舗情報の正確性は保証されませんので、必ず事前にご確認の上ご利用ください。 詳しくはこちら
店名 |
閉店
洋食 マルタ
|
---|---|
ジャンル | 洋食 |
住所 | |
交通手段 |
南海電車 萩ノ茶屋 徒歩3分 萩ノ茶屋駅から185m |
営業時間 | |
予算(口コミ集計) |
|
支払い方法 |
カード不可 |
席数 |
28席 (カウンター6席 テーブル5卓22席) |
---|---|
個室 |
無 |
禁煙・喫煙 |
全席喫煙可 2020年4月1日より受動喫煙対策に関する法律(改正健康増進法)が施行されており、最新の情報と異なる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | カウンター席あり |
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
お子様連れ |
子供可 |
初投稿者 | |
最近の編集者 |
|
食べログの会員になるとレストラン情報を編集する事ができます!この機会に是非ご登録ください!
店舗会員になると、無駄な広告費をかけずに効果的なPRができます。詳しくはこちら
紙ではできない予約管理を。いますぐ無料ではじめよう。詳しくはこちら
既に会員登録が完了している方はこちらからログインできます。ログインはこちらから
前回のレビューでは、大井食堂を中心にカツライスの謎について言及しました。
今回は、花園北 洋食マルタです。
現店主 衣本行夫さんは2代目。
奥様とふたりでこの洋食店を
営んでいらっしゃいます。
衣本さんは70歳を超えてらっしゃる好好爺、
といった印象。
店内はレトロ感
いっぱい。
おしゃれな洋食屋さんだったのでしょうね。
メニューは色々あります。
では、カツライスお願いします。
カツが乗ったやつやね?
奥様が聞きます。
はい、そうです。
マルタのカツライス。
1380円。
大井と違い、
基本ビーフカツです。
福神漬け、スプーンは同じですね。
カットも同じです。
縦に3回、横に3回
=16ピースです。
大井に酷似します。
カツライスの成り行きを聞きます。
ここで非常に重要な
お話を伺いました。
マルタのカツライス
誕生は昭和23年、と
ご主人は断言されました。
ご主人のお父さん
(=先代)の頃です。
この花園、鶴見橋一帯は、かつて靴の一大問屋街だったそうです。
今では、わずか4軒になった靴の問屋が、戦後は大変多くあった。
今でしたらインターネットあるいは電話、FAXで注文して、宅配便で届く、といった仕入れなのでしょうが、
当時は地方の町の靴屋さんが、このあたりまで出向いてリュックサックや柳行李(やなぎごおり)を背負って、
汽車で仕入れに来ていた、ということです。
地方の靴屋さんは、靴問屋で現金で何十足と仕入れ、せっかく大阪まで出てきたのだから、
お洒落な洋食を食べて帰りたい。
大きな問屋街の周りに洋食店が栄えます。
当時、ビフカツ定食はありました。
ごはんに乗ってないビフカツをナイフと
フォークでいただくもの。
付け合せの野菜なんかもついてます。
仕入れを済ませた地方の靴屋さんは、
一刻も早く店に帰って、
この靴を売りたいんです。
現金化したい。
四国や和歌山など遠方の靴屋さんは一層です。
汽車を1本遅らせたら、半日、1日 遅れる交通事情です。
「ビフカツをメシの上へ乗せてくれ!」
「カツは細かく切っておいてほしい。」
地方の靴屋さん達の要望から、マルタのカツライスは生まれました。
これが、昭和23年とおっしゃいます。
大井食堂は戦前からカツライスをだしてます。
加古川のかつめしは、昭和20〜30年、加古川駅前の「いろは食堂」がそのルーツとされています。
やはり、大井食堂が一番早い時期です。
ただ、マルタのご主人は、「大井」の存在はご存知でしたが どんな人なのか、会った事もない、といいます。
「大井」と「マルタ」は交流がないんです。
マルタの奥様は、その存在もご存知ない様子でした。
時期は少し違うようですが、どうやら同時多発的に「カツライス」が自然と誕生し、一時ブームになっていたようです。
「同時性の法則」というものがあります。
なぜか、同じようなことが、違う場所で同じ時期に発生する。
歴史を繰っても、グラハム・ベルとエジソンは影響しあわず同じ時期に電話の元を発明していました。
世界のどこかで飛行機の墜落事故があると、なぜか違う国でも同じような事故が多発する。
食べ物が流行することはよくあります。
今でしたら、差し詰め 「食べるラー油」でしょうか。
「ナタデココ」なんていうものも流行りましたね。
お客が、
「こないだあっちの店で、こんなの食べたよ。」
と広めていったのかも知れません。
謎に迫る、筈が一層深まってきました。
情報を求めます。
カツライスの歴史に関する情報をご存知のかた、ご一報ください。
コメント欄、メール sqwka@yahoo.co.jp いずれでも結構です。
件名を、「カツライス」でお願いします。
まずは、大井の2代目に
会いたいと思います。
●洋食 マルタ
大阪市西成区花園北2-10-11
06-6641-7227
←ランキングに参加しております。クリックよろしくお願いいたします。