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店名 |
閉店
たぬきや 稲田堤
|
---|---|
ジャンル | 居酒屋、レストラン |
住所 | |
交通手段 |
京王相模原線京王稲田堤駅、JR南武線稲田堤駅 徒歩8分 稲田堤駅から594m |
営業時間 |
営業時間・定休日は変更となる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
予算(口コミ集計) |
|
支払い方法 |
カード不可 電子マネー不可 |
個室 |
無 |
---|---|
貸切 |
不可 |
禁煙・喫煙 |
全席喫煙可 2020年4月1日より受動喫煙対策に関する法律(改正健康増進法)が施行されており、最新の情報と異なる場合がございますので、ご来店前に店舗にご確認ください。 |
駐車場 |
無 |
空間・設備 | 座敷あり、オープンテラスあり |
ドリンク | 日本酒あり、焼酎あり |
---|
利用シーン |
こんな時によく使われます。 |
---|---|
ロケーション | 景色がきれい、一軒家レストラン |
サービス | ペット可 |
ドレスコード | カジュアル。 |
オープン日 |
1935年 |
初投稿者 | |
最近の編集者 |
|
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渋谷の名居酒屋、富士屋本店の閉店ニュースが数日後に控えている平成最後の秋。もう一軒ひっそりと83年もの長い歴史に終止符を打つ酒場がある。稲田堤というマイナー駅から多摩川に向かう土手を超えた河川敷の増水したらひとたまりもない場所に「たぬきや」は佇む。酒飲みの間では有名であったが、主に近隣に住む人、多摩川に散歩にやってくる人達の憩いの場。メニューだって、おでんとやきそば、煮込みが名物ではあるが、グルメな人々が訪れるようなお店ではなかった。ただ、この掘っ立て小屋の進化系のような場所は、あの酒場詩人も愛した店であったし、2014年のdancyuの表紙になった事もある。おそらくその頃から、若い人達にも認知され最終日に来ていた人達も40前後からさらに若い人達が多かった。今ではランニングする人たちの休憩スポットとして人気であり、昼から飲める割に健全さが漂うような公園の休憩所のような場所。
取り立てて美味しそうなものはない。焼きそばだって業務用のウスターソース味だし、焼き鳥は冷凍のを買ってきて焼いてるだけだし。公園の休憩所のそれと同等のレベルでありながら、それでも人が集まっていたのは、雄大な多摩川を見下ろすのではなく、川面に近い目線で感じ、川辺に吹く風に吹かれながら飲む酒の美味しさが格別だったから。
広く酒場に共通するのは、つまみの美味しさではない。店主との会話でもない。「場」が酒を美味しくするチカラだと思う。ひとりぶらりと川を眺めたくなって、そして思ったより日差しが強くて涼みたくなったり、小腹が空いたりしたとき、トイレを借りたくなったりしたときに、ふらっと立ち寄るような場所。そしてそこでお酒とおつまみがいただける。
京都の川床文化とは異質の、そして博多の中洲屋台とも違う、「東京ならではの郊外」の文化。正確にはここは神奈川県川崎市なのだが、まさに郊外と公害にさらされた「汚い多摩川」が時代の象徴だった頃から存在する憩いの場。
最終日に久しぶりに訪れた僕は、開店待ちの間に初代の頃から来てるというおじさんから話を聞いた。ここはもともと、季節を限定して営業していた小屋で、花見客や川遊びをする人たちのための休憩場所として始まったという。最初の頃は毎年季節が巡れば、小屋を解体して更地に戻し、また次の年に小屋を建てる。そのうちに定着を許され、小屋は常設に。しかし寒くなれば、おのずと客足は遠のき店主さんは工事現場のおじさんに仕事をもらったりしていたのだという。また春が来れば自然とお客がやってくる。河川敷の店舗故に、昔は電気も水道もひいていなくて、このたぬきやの隣には他にも店舗が数軒たたずんでいたそうだ。
おじさんは、ここの雨戸にレール作ったのも最初に俺がやってあげたんだと言っていた。そのうちに鉄骨が入ったりスライド式のシャッターがついたりしたのだと。戦前から83年、初代、2代と続き、今の女将さんは3代目。ぼくは3代目しか知らない。
この店が混んでるのを見たことない僕は、最終日の混雑で注文する為に並んでいる違和感を感じながらものんびりと行列に加わり約1時間ほどの待ち時間をすごした。この店はおばちゃん一人でやってるので、もともとのんびりとしているのだが、何十人も一度にさばいたことなどないおばちゃんは次第にお客さんのオーダーもためてしまう。そのうちに常連さんがやってきて、焼きそばや焼き鳥を焼くのを手伝ってくれた。僕の番がきて、焼き鳥、おでん、煮込み、塩辛、おしんこに、トマトサワーと瓶ビール。それからスナック菓子を2つ。最後に名物だった焼きそばの大盛りを頼んで3710円。小銭を探していると10円をおまけしてくれた。
もうこんなやりとりも出来なくなるのだと思った。そんな場所がこの世から無くなる。
経年劣化して曇ったガラス越しに多摩川を眺めて、おばちゃんじゃない人が作った焼きそばの変わらぬ美味しさに改めて納得し、
一通りのおつまみを食べ尽くし、瓶ビールも、トマトサワーの氷もなくなる。僕が席を立つ番だ。食器を片付け並んでいる人達を横目にサヨナラを告げる。日はまだ高い。
「平成最後の〜」と聞こえてくるこの時代。昭和の残響のようなものは、東京の街からも遠ざかり、汽笛のように薄らいでいく。
その中にあって、この酒場は昭和が流れ着いた河川のよどみのような場所であったし、大きな川のほとりに酒場がある場所なんて他に知らない。「たぬきや」に行ったことがあるという事を別の酒場でツマミにする日が来るのだろう。そして人はまた別の場所で酔っていく。昭和の汽笛はいつのまにか止んでしまっていた。