4回
2023/12 訪問
カツ煮、天ぬき、極みのもりそば
今年、訪れたお店ではないけれど、全くの素通りで年を越せぬと訪れたのがここ〈吾妻橋やぶそば〉。
かねてから私にとっての日ノ本一の蕎麦屋だと思っているが、今年はようやく、向うを張る蕎麦屋を見つけたこともあり、ここは一度、2023年よさらばの一環で挨拶に行かねばと訪れたのは、ようやく年の瀬が迫って来たような実感を伴う土曜日の昼のこと。
開店10分前ですでに行列、5分前に開店、ぎりぎり一巡目。口開けと同時に満席。
前回来てから、〈吾妻橋やぶそば〉は移転前、カツ丼の名店としても名高かったというようなのも見てから、次は必ずや〈カツ煮〉を頼むぞと蕎麦のメニューを裏返してみると、避けては通れない〈天ぬき〉が視界に入ってしまう。
迷い出してしまうと〈鴨ぬき〉、〈あいやき〉、〈鳥わさ〉などの魅惑的なメニューたちもちらつく。
ということで、酒を入れる予定は無かったのだが、ビールを小瓶でもらい、あえて油を重ねて、〈カツ煮〉と〈天ぬき〉をいただくことにした。
そばは、ここを超えるものに未だ出逢わない〈もり〉の〈中〉(山が2つできる)。
まず、練り味噌でビール(アサヒのスーパードライ)をゆっくり頂いていると、出て来る〈カツ煮〉。中々醤油の色がガッチリ入る濃い口な仕立て。でも揚げたサクサク感も微妙に残りつつ、ビールのアテに完璧なバランス。なるほど、これを求める人がいるのもよくわかる。
そうこうしているうちに出て来た〈天ぬき〉。出で立ちも芸術的ならば、ひっそりとつゆに沈められている柚子も粋だし、品のよい仕上がりまで含めて感動的だ。割ればこれでもかと海老が揚げこまれている。ビールのアテというより、これは本来日本酒で受けるべきだろうなと思いつつ、油のとけだしたつゆを頂く。ここまでで仕上げにしてもいいな、とすら思ってしまう出来。
それでも、やはりここに来たからには、〈もり〉を頂かずには帰れない。(そばを)「そろそろお持ちしていいですか」と確認されると気持ちよく「お願いします」。
バリバリの醤油が前面に立ち、ネギで辛くさらに〆ていただくと、手繰る手が止まらない絶妙なバランス。冷たく〆て、清冽さすら感じる細いそば。この〈もり〉を超えるそばには、また今年も出逢わなかった。ここが私にとっての日ノ本一、ってことで、いいんじゃないかと改めて思う。
〆て4,900円というのも、相当充実している。今まで、訪れたのが平日の昼ばかりだったから、お酒を入れる使い方をして来なかったけど、ここは昼にさらっと飲むにも適している。蕎麦前たちも探究したいところだ。
探究したいといえば、蕎麦のメニューもそうだけど、〈もり〉が(私にとって)極みの領域にあるから、中々進まない。悩ましい。
ここと向うを張る店は出て来たけれど、あちらとこちら、同じく江戸前正統の異なる蕎麦屋から出てきた蕎麦屋だけど、蕎麦屋としての在り姿、めざすものはまるで違う。さしずめ東西両横綱。全くの互角。敢えて優劣をつけるでもなく、両方とこれからも付き合って行こうと再確認した次第。
お勘定の際、今年も最後になってようやく来られました、来年も参りますと言ったら、花番のお姉さん、嬉しそうに笑ってくださった。
2023/12/30 更新
2022/05 訪問
私にとっての、日本一の蕎麦
蕎麦百名店のドラスティックな入れ替えの動揺はだいぶ落ち着いたし、後回しにしてきた店に行く好いきっかけだと思いなおしたのだが、今のままでは「フェア」な評価ができない気もして、仕事に織り交ぜ、少し無理をしてここを訪れた。
ここ〈吾妻橋やぶそば〉は、蕎麦屋を回り始めた初めのほうに訪れて、食い終わるや否やまた改めて〈もりそば〉を食べに来ようと思った、卓絶した蕎麦を出してくれた店だ。
蕎麦屋行脚の最初期に訪れたこともあり、果たして今の私にとってどうなのか、改めて確かめたいと思っていた。「私にとって究極の蕎麦屋」はどこか、という問いに対して、最も近いところにある店がここと下北沢の〈打心蕎庵〉だ。
「リベンジ・ツアー」を始める前に、禊をかねて「私にとっての究極」を確かめる必要を切に感じ、こちらを再訪した。
平日昼間、12:00過ぎ。
店はほぼ満席。滑り込んで、ぽっかり一人分空いた席に入る。
注文は、前回来た時に感動した〈もりそば〉の中。それに、〈天種〉。こう注文すると、天せいろの中でお受けしますね、と、引き取ってくれる。
満席の店内。
近所の勤め人を中心に、ここの蕎麦を聞きつけて訪れたと思われるお客さんが混じる。昼時の営業ということもあって、お客さんは蕎麦を食べ終えると長っ尻にならず出て行く。
私の蕎麦も、そう待つことなく供された。
前回訪れてから、1年3ヶ月余り。数多の蕎麦屋で蕎麦を手繰ってきた。様々な店の蕎麦を脳裏に描きながら蕎麦を啜る。改めて思う。ここの〈もりそば〉は完璧だ。美しさすら感じる蕎麦の研ぎ澄まされた清冽な味わいもさることながら、つゆの見事なバランス。醤油勝ち目の、味わいに奥行きを乗せるためのわずかな甘み、蕎麦湯で解いた時に露わになるダシの旨み。蕎麦とつゆの調和。これぞ完璧な江戸前、と言いたいのだが、それは私の狭い了見、身勝手な思い込みだろうか。
店主の修行元〈かんだやぶそば〉由来の天種。小えびを寄せ揚げた、香ばしく、ざくりとした衣とえびの弾ける旨味は、替えがたいものがある。
〈もりそば〉の中は、山が2つあるので、1つを天ぷらの油が入らないうちに食べ、もう1つは天ぷらを漬けた後のつゆで食べる。油で味が変わるので嫌がる蕎麦喰いも多いが、油が溶け出してもあまり悪い変わり方はしなかった。それだけ、つゆが強いということのような気がする。
蕎麦を啜るうち、ああ、ここは私にとって日本一の蕎麦屋の一つである、と確信した。また迷うことがあればここに帰って来ようと。そしてこの店を上回る店、この店の向こうを張ることのできる店と新しく出逢えることを楽しみにしようと。
この店の接客はやわらかい。下町の蕎麦屋の気性の粗さは微塵も無い。洗練された明るい店内といい、総てにおいて私の感覚にぴたりと嵌まるものがある。〆て2,500円のお勘定も、「流石」の一言だ。
唯一の難点は、11:30から15:00の昼時の営業だけだということだ。だがそれを踏まえても、この店の評価を減価するには及ばない。贔屓の引き倒しと言われようが、最高点を献上することに、躊躇いはない。
2022/05/26 更新
2021/02 訪問
こんな蕎麦屋が好きなんだと悟る
休暇の最終日。
本当は違う店に行くつもりが、何だかいきなり億劫になってしまい、比較的近い浅草の蕎麦屋を探して、ここに行こうと急遽予定を変更。
この、「明確な理由は無いが、ここは行かないほうがいい」という直感めいたものを、大切にすることにしている。あくまで主観的なものでしかないのだが、そういう時に予定変更をした先で、思ってもみない出逢いをすることがあるからだ。
浅草から駒形橋を渡ってすぐのところにある。佇まいはとてもじゃないが蕎麦屋とは思えないが、のれんと「営業中」という札に促されるように入る。
何というか、店構えからして一見の客にもすんなり入れる気さくさがある蕎麦屋だ。
そして中に入ると小奇麗に調えられていて、スペースもゆったり。このご時世、スペースがあるっていうのは大事。
頂いたのはそばとろ(量を多くしてもらって、もりそばの中並に盛ってもらった)。ヨソじゃとろろそばって言って出てくるものだ。
研ぎ澄まされた味のそば、塩味とまったりしたとろろの漬け汁自体も素晴らしかったが、添えるように出されたもりそば用のつゆがまた、しっかりしょっからくて、しっかり旨みもあって、ああ、こういうもりそばが食べたいんだよ、って感じで一発で虜。次、もりそば食いに来ようと食べ終わる前に思うんだから、自分の蕎麦に関する好みのストライクゾーンにある店だ。
雰囲気や店員さんも柔らかくていい。総ての蕎麦屋がそうということは無いが、ちょっと一見の客や、「細かいことは知らないけど蕎麦は好き」なだけの気楽な客を撥ね退ける雰囲気の店がたまにあって、けして嫌いじゃないんだけどリピートするかと言われると怯む店があるが、ここはふらっと行って、研ぎ澄まされた蕎麦を気楽に食べて、さらっと会計して出る、っていう使い方で気楽に付き合える雰囲気がいい。
2021/03/02 更新
不本意な異動の辞令を受けた週末・土曜。
これを見越していたわけではない予約が2件あり、それはそのままこなすとして、問題は、おいそれと訪れることができなくなる幾つかのお店に、暫しのお暇をしておきたいというもの。
特に蕎麦屋は、ざっと思いつくだけでも4, 5件はあって、異動のスケジュールも流動的な中、見込んでいたお店に行けなくなる可能性をはらんでいる。となると、ここだけは外せないと一番手にお伺いしたのが〈吾妻橋やぶそば〉。
数多の蕎麦屋を回って、つゆと蕎麦のバランスという意味で私の好みド真ん中、六本木の〈おそばの甲賀〉と並び、日ノ本一の蕎麦屋と信じるお店。可能なかぎりの「お暇行脚」のトップバッターに相応しい。
11:30の開店時間10分前で、すでに10名ほどがお待ち。5分ほど前に開店、呼び込まれて満席。11:30の開店時間丁度に訪れた方は、店内でお待ち。そうそう、こういうお店なんだよね。
〈天ぬき〉と〈中もり〉こと〈もりそば〉の中。〈鴨ぬき〉、〈あい焼き〉なんかも惹かれたが、ここはお店のシグネチャー(勝手に私が思っているだけ)でドンと勝負。
相変わらず、海老を沢山盛り込んで揚げきったかき揚げがつゆにたゆたう〈天ぬき〉は美味しい。三つ葉や柚子皮なんかが香りの面でいい仕事をしているのも変わらず。ほんとは、こいつで日本酒を一杯行くのがいいんだけど、今日は我慢。
そして〈もりそば〉。キリッと冷やしてある。濃い口のつゆ、ほんのりと乗った甘さが、醤油のカベを引き立てる。ネギなどで辛く〆た後の、それこそ切り立つような辛口のつゆ。これとここの蕎麦の織り成すバランスは、何度食べても感動する。
お勘定。そんなに頻繁に来ているわけではなかったけれど、それは「いつでも来られる」という思い込みから。だから、しばしのお別れ、という感懐も。
いつの日か東京に戻って来た暁には、必ず、ここに戻って来よう。