『あの日を忘れない(2011.3.11)~撮りためた写真からの過去ログ~』Kibao.さんの日記

記憶より記録

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2011年3月11日。 オフィス(当時晴海トリトンスクエアのX棟)にて


オフィスレイアウトが替わったばかりでガランとした27階フロアのヒトケのないデスクを囲んで打ち合わせをしている最中だった。

ゴゴっと言う音がしたかと思ったら、景色が揺らいだ。

あれ、目眩?貧血かしら??なんて思っていると、、、


いや、違う。目眩じゃなく、ビルが動いてるんだ、ぐわんぐわんと!


え?何?どうなってるの?

それが地震(だろう)と気付いたのは4~5秒経ってからだった。


まるで船に乗って波に揺られているみたい。

立っていられない。

晴海トリトンスクエアはもともと高さの異なる3つの建物をダンパーで連結し、それぞれ違う振動の周期で揺れを相殺する制振構造だったのだが。

これは危険だと判断して、せめてヒトケのある自分の席に戻ろうと30階へ向うが、当然エレベーターは止まっているから階段で。

階段室に入るとそこではゴゴゴ、ギシギシギシと不気味な音が鳴り響いている。

マジ、ヤバイと思った。真剣に身の危険を感じた。

いったい何が起こっているのだろうか?情報が欲しかった。


30階の自席に戻るとフロアじゅうにいた社員が騒然としていた。

目の前のガラスの先、僅か数十メートルに隣接する隣のビルはこちらとま逆の揺れになっているらしく、その揺れ具合がもろに目に映る。

こちらか向こうかどちらかが、ぽっきりと折れるのではないか、というくらいビルが大きく撓んでいた。

書類をしまうキャビネットがレールに乗った二列のスライド式で、こいつらは端から端まで大きく行ったり来たりを繰り返し、端に当たるたびに「ガッシャーン、ガッシャーン」と大きな音を立て、それがまた怖さを掻き立てているようだった。


10分だったのだろうか、20分だったのだろうか。

ビル全体の揺れが収まるまでとてつもなく長かった気がする。



幸いにも、自分や家族、親戚には一切被害はなかった。

唯一、大事にしていたガラスの徳利が棚から落ちて割れてしまったが。



あの日を忘れない。

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